話の広場
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”元日本人”台湾の李 登輝 前総統の講演 (M.F代議士より)

1923年、生まれたときから、22年間は「日本人」だった李登輝前総統は80歳を超え、体調がすぐれないところを、06年12月4日某代議士の会台北市内で講演されました。
李 登輝前総統は「いまの日本の青年に伝えたいことー指導者として品格と価値観」と題して、講演の中で「金銭と権力は一時的なものに過ぎず、精神こそが生涯を貫いて奮闘し、追及すべきもの」であることを理解することの重要性を繰り返し唱え、指導者の条件として次の5つを挙げられました。
【第一】正しい決断を行うため、自らの心の弱さを認識しつつ、それを克服するために強い信仰を持つこと。
【第二】事に当たるには権力は不可欠だが、権力は「借りもの」であり、いつもそれを手放す覚悟を持つこと。
【第三】公私の区別をはっきりとつけ私情に流されないないこと。
【第四】堅固な意思をもち、人の恨みを買う悪役を自ら引き受けること。
【第五】「権謀術数」をカリスマ的な力を作り、人気を高めようなどと考えないこと。これは、いずれも自らの経験にもとずいた話で、全員が非常に感銘を受けたそうです。(権謀術数=巧みに人をあざむくはかり事)
同日、台湾の経団連にあたる工商協進会の黄茂雄理事長は慶応大学卒業で日本語はペラペラ。台湾企業の大陸中国への進出、関与の話のなかで、現在台湾企業は大陸を世界の「工場」だけでなく、世界の市場ともみて盛んに進出している。その企業が台湾で影響力を強めている。
中国とつきあう心構えとして、中国を一つの国としてみないこと、まず現地の行政府と付き合うことの重要性を説明、さらに日本人がしたたかな中国人とビジネスをやるには、台湾人と組むのがいいとの話もでた。最後に、黄さんは「若い人は、どんどん外に出る勇気を持て!」と仰せであったそうです。小さな島国である日本は、チャレンジ精神を忘れてはならないということではないか!!
【台湾といかにうまく付き合うか】(M.F代議士の所感)
近隣諸国に親しい友人がいない日本にとって、これほど親日的な台湾の重要性は、その地理的立場からいっても疑いの余地はありません。にもかかわらず中国との関係を気にして、ともすると台湾に冷たくあたる傾向があります。しかし同時に日中の間で歴史的に翻弄された台湾の立場や思いをしっかり理解することも日本にとって重要なことです。私は、対中関係を大事にしつつも、台湾の関係も大切にバランスがとれたお付き合いをしていきたいと思います。
★このHP管理者の所見:夫人が台湾で生まれ、故蒋介石総統の好意により1946年4月に日本へ引上げた。このHPの管理者は、名古屋瑞穂ロータリークラブに所属している。台北延平ロータリークラブと姉妹クラブと姉妹提携し、子女のホームステイを始め20年にわたる交流がある。なにかにつけて台湾に恩恵を受けている日本国民は、さらに台湾を意識する必要があると思う。

個別ページへ |Posted 2006.12.29|

イエスキリスト と クリスマス

2006年12月18日。今日あたりから、クリスマスパーティーが多いと思いますが、イエスキリストは紀元・元年に生れたのではなく、紀元前7年に生まれ、紀元後30年に亡くなったという話があります。
ヨーロッパの冬は、夜が長く太陽が恋しいので、冬季が過ぎて一日、一日、日照時間が伸びて春になっていくのを喜び、当時の人々が信仰していた太陽神ミトラのお祭りを、キリスト教になってからクリスマスにしたそうです。
サンタクロスは実在の人物で、紀元後271年に、トルコで生まれた聖ニコラスという人ですが、キリスト教の司祭で、船乗り、パン職人、子供達の守護聖人でもあったので、子供達に慕われえてクリスマスとセットになったそうです。今年も残り15日間で2007年です。本当に時間の過ぎるのは早いです。
漫画家の手塚 治虫さんは、「人間は何万年も、あした生きるためにきょうを生きてきた」と言いました。私の好きな言葉です。今年度の国際ロータリー第2760地区・斉藤直美ガバナーは「ロータリーは人生の余白である。余白に何を描くかはあなた次第です」と言われています。これも私の好きな言葉になりました。

個別ページへ |Posted 2006.12.17|

圓山大飯店(台北グランドホテル)

圓山大飯店(台北グランドホテル)\\\\\\\\\\圓山大飯店(台北グランドホテル)\\\\\\\\\\ 台湾神社発祥の地に建つ、1978年世界ホテルランク「7位」の栄誉を受けている。1987年、総督乃木希典は圓山で、故白川親王の詞を立てようとお決めになりました。
1889年4月1日、台湾神社の地鎮祭が行われました。1890年5月に起工、1901年10月20日に完成しました。神社の境内は八万坪にも達し、台湾で唯一の官幣大社であり、しかも最大の神社でした。同年の10月28日に大祭式典を行い、日本国内数多くの高官が台湾に行きました。北白川親王の王妃も船で式典に参加されました。その後、毎年10月28日は台湾神社祭が行われていた。皇太子殿下裕仁親王は1923年(大正12年)4月12日、東宮皇太子殿下裕仁親王は、軍艦にて横浜港から出発で式典参加。圓山大飯店(台北グランドホテル)は、このHPの管理者、遠山堯郎の友人台北延平ロータリー会員:李 元義さん(YY.Lee)が取締役顧問をしている。

個別ページへ |Posted 2006.9.17|

上高地・田代池

上高地・田代池上高地・田代池で一瞬の景色・2005年10月20日:午前9時頃
(愛知県名古屋市昭和区・高橋宏行氏が撮影)

個別ページへ |Posted 2006.9.17|

穂高・奥穂高

穂高・奥穂高\\平成17年2月・西穂高独標からみた穂高・右は奥穂高

(愛知県 半田市在住の町井利洋廣氏が撮影)

個別ページへ |Posted 2006.9.17|

白川郷

白川郷世界遺産・白川郷 平成15年 9月撮影

個別ページへ |Posted 2006.9.17|

台北市での結婚式にて

台北市での結婚式にて中華民国歴92年・西暦2003年1月26日
台北市での結婚式にて
台湾の前総統・李 登輝氏と同席の遠山

個別ページへ |Posted 2006.9.17|

シンガポールの夜景

シンガポールの夜景シンガポールの夜景・2002・5・11・
シンガポール航空より・350万人都市には見えない

個別ページへ |Posted 2006.9.17|

日本人八田與一氏の銅像前にて

日本人八田與一氏の銅像前にて台湾を農業国にした日本人八田與一氏の銅像前にて・1995・05・08
毎年5月8日に台南で開催の慰霊祭にて

個別ページへ |Posted 2006.9.17|

グローバル時代と名古屋の見方 (浜 矩子氏)

グ��ーバル時代と名古屋の見方「グローバル時代と名古屋の見方」2001・03・12
三菱総研・浜矩子さんとの勉強会。前列中央が当時の中部電力・川口文夫社長(2011年07月現在・相談役)

個別ページへ |Posted 2006.9.17|