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お 茶 の 水 と 太 陰 暦 か ら 太 陽 暦

江戸創草期に、よい水がでるので、「お茶の水」にと将軍に献上された。家康か秀忠かわからないが、ともかく、将軍さまがお茶を点てて「よい水じゃ」と褒められたところから、いつのまにか「お茶の水」の地名ができたとう。
1868年(慶応4年)、皇歴でいうと2528年、日本が封建時代から近代へ移る画期的な年である。明治 5年11月 9日に明治政府は、きたる
12月 3日をもって明治6年とすると発表して現在にいたっている。これは太陰暦から太陽暦に改められたことである。(太陰暦は8回も改められた)
今、平成15年の幕開けになった。西暦2003年・皇歴でいうと2663年である。過去10年余、明るさが見えない新年を迎え続けている。
自己責任の意識を忘れる人が多くなった。そして感謝と感動を忘れた世の中にもなってしまった。
1975年に沖縄で作られた歌”花”の歌詞を引用すれば、・・・・・花は花として笑いもできる、人は人として涙も流す・泣きなさい・笑いなさい・それが自然の歌なのさ・・・・・涙のあとに感動がある!!そんな、みずみずしい社会が戻ってくることを願う一人です。
(このホームページの管理者・遠山堯郎)

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経営に奇策なし・創業精神が企業を守る (花王社長 後藤卓也)

花王の後藤卓也社長は、マスコミから経営の秘訣を質問されるたびに必ず答えることは『仕事をする上で。奇策などはない。ただ”基本”を徹底するだけだ』『事業の本来の目的は、決して単なる”お金儲け”ではない』『世界経済が混乱期にある中で、一時も気持ちを緩めることなく社会に貢献すべく最善をつくせ』『いつの時代も社会に要求にピッタリ合う商品であり、経営であれ』
これは1927年、当時の花王石鹸長瀬商会の社長に就任した、二代目・長瀬富郎の『就任の辞』から大前提となる企業の目的を抜粋したもの。『現状不満足型企業』!!後藤社長の造語であるもの言葉は、現状にとどまることなく常に何かと改善しなければ、という緊張感と危機感を持ち続けてほしいというメッセージ が込められている。このことは、二台目・長瀬富郎の『すべての事業に於いて、創業時代の精神の失せることは最も危険である。創業の精神とは即ち緊張の精神である』というメッセージに通じる。
「好成績を挙げすぎることに対して感謝し褒めもするが、そこで満足してしまっては、さらなる成長はない。花王は”健全な危機意識”を持ち続ける企業でありたい。この創業以来脈々と受け継がれてきた企業風土をいかない伝えていくかが社長としての最大の責務だ」
歴代社長は、ともに高度成長期以降、常に創業精神に立ち返り花王という企業のダNを継承してきた。
(月刊誌 ウエッジから)

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今、企業の競争力回復に求められるもの (セイコーエプソン株式会社・会長・安川英明氏)

A・エプソンの経営姿勢
(1)チャレンジ精神 ・高い目標に挑戦し、スピードを持ってやり遂げる 
(2)独創性の追及 ・ 独自性のある強い技術の開発と 育成 ・世の中にないモノを自ら  の手で生みだす ・他社に真似できない商品を一歩先駆けて創出
(3)総合力の発揮・組織、 事業、会社の壁を越えてスクラムを組み、グループ一丸となって取組みやり遂げる
B・企業の競争力回復に求められるもの
・EPSONの経営にみる4つのポイント
(1)独創性の追及 
(2)時代・社会環境に即した経営課題の早期解決 ・総合力の発揮 ・人材の育成 
(3)スピード
C・変化を先取りする先見性
・「三現主義」常に製造現場に足を運んで状況を把握しておくこと・販売の現場を回り、顧客のリーダとのコミュニケ ーションが大切 
・「問題意識」常に問題意識を持って話をきくこと、自分では見つからない、いいヒントが必ずある
D・EPSONのS&A Start together &Achieve together 管理者が強いリーダーシップを発揮し、グループの総合力を結集あえて、「スクラムを組み、素早く対応する」(S)「ことにより、「やりとげる」(A) (S:Start ・Scrum・ Scramble・ Speed  A:Achive)
F・聡 明 活 動 (聡明の由来は、沢庵和尚の禅問答「聡明とはひとの話を聴くこと」から)
Face to face 上下・左右の双方向コミュニケーション、情報交換の共有化(三現主義・Fact-findingの伝統) 経営への参加意識を持ち、能動的・積極的な活動を展開、判断ミスが起きにくい(謙虚で合理的マネイジメント)
(中部経済同友会・夏季セミナーからの抜粋)

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「 一 宮 」 は 全 国 の 9 6 社 も(真清田神社宮司 飯田清春さん)

明治維新の前の愛知県は、尾張・三河の国の二州であった。岐阜県は美濃と飛騨の国、三重県は伊勢、志摩、伊賀の国、長野県は信濃の国、静岡県は遠江、駿河、伊豆の国とに分かれていた。荘園制度が確立してきた平安時代末期の12世紀に任命された国守(現在の知事?)は、中央より任国に赴くと、最初にその地域住民が最も崇敬を寄せている神社へ参拝した。
最初の神社を一宮と称し、次が二宮、三宮と称せられた。800年以上の歴史が経過すると、栄枯盛衰があり、一宮が別の一宮にその地位を明け渡さざるを得なくなったことも。一宮が三社もある越中の国の例がそうだ。全国の一宮の宮司で作る「全国一の宮の会」の調査では、一宮の神社は全国で96社。愛知県一宮市は1921年に市制を施行。
尾張一宮真清田神社に伝承されてきた、鉄鏡の円筒に五鈴鏡(れいきょう)をモチーフにしている。情報産業、輸送機関の目覚しい発達で、世界規模での交流が盛んな現在、グローバル化がいかに進展しても、自分の生まれ育った故郷と、自国に対し、素直に誇りを持てなければ、結果的には街の活性化も、国の繁栄も、世界平和への貢献も出来るとは思えない。      (2002年6月・中日新聞・尾張版)

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よく守り、よく攻めよ

失われた10年に対する反動か、経営者の心情も最近になってようやく変わってきた。ソニーの出井伸之会長に代表されるように「もういかに生き残れるかではない。いかに勝ち抜くかという姿勢に切り替える必用がある」守りから攻めへのシフトが強調される。もともとマネイジメントは、攻めながら守り、守りながら攻めるところにある。
守りか攻めのどちらかに、一方的に片寄ることは、実に危険なのだが、90年大は余りにも守り一方に徹しすぎた、しかし、心ある経営者たちは、ようやくここにきて気を取り直したのではないか。「攻撃は最大の防御である」ことを、改めて思い出した。つまり、守りから攻めの経営に転じてこそ、企業の明日が保証されるのである。
リストラの追われている企業の中で「今は守り。辛抱のときだ」と言う経営者がいるが、こうしたしせいでは前途多難であろう。日産のカルロスゴーン社長を日本の経営者が見習うべきは、ゴーンの手法、つまり攻守のコンビネーションであろう。
最初の三ヵ年計画では徹底した守りをやり、次の三ヵ年では攻めに転ずる。そのタイミングが小気味よい。日本経済が再生するには「ゴーンに出来て、我々日本人が出来ない理由はない」と、多くの企業家が確信に満ちた気概をもたなければならない。     
(JAL月刊誌Agora・8月号)

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シングル族の増加

最近、若年、中年を問わずシングル族が増え、出生率(2001年)も、1.33と史上最低を更新中、自由な時間、気楽さ。快適な親との同居など社会生活上の魅力、コンビニ・電化製品の普及、女性の経済力向上、社会的プレッシャー低下など婚期の必然性の低下、高い教育費、女性に偏る育児負担など結婚のコスト・リスクが相乗的に左右してしている結果でしょうか!!
家族には成長があり拡大する喜びがある反面、子供の成長に伴い、やがて解散がやってきます。一方、シングルには成長も全盛もなく、一人で生活を律する寂しい(?)安定があります。どちらを選ぶか。まさに新しい社会の重要なテーマとなりそうです。
(2002年6月・中部経済連合会7月号)

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 「 自 己 責 任 時 代 」 の 扉 が 開 (竹中平蔵・経済財政担当大臣)

企業の雇用体系や賃金・退職金制度の見直しなどによって、自分自身の将来像が従来通りには描けなくなった。こうした中で将来に向けた資産運用やリスク管理を自ら判断し、その結果に責任を負う「自己責任」の時代が本格的にはじまろうとしている。
同時に、民間の活力を生かした日本経済の再生、その基盤となるマーケットの活性化や個人が幅広く参加できる環境整備が、将来への推進力を生むための重要なテーマの一つになっている。かって日本は、「こうやればうまく行く」という成功事例が示されていた。いま日本は技術的にも所得的にも、未踏のフロンティアに立っいる。「リスクを取らなければリターンはない」という考えは、今となっては当然という認識の人が多くなった。例えば、日本企業は終身雇用・年功序列制度のもとにあり、働く人は一種の安心感を抱きながら「リスクはない」と考えてきました。しかし、これは違う。今までは企業がリスクを負っていた。
これは資産運用も同様で、これまでの日本にはミドルリスク・ミドルリターンの金融商品が相対的に手薄であったことは事実。ミドルリスク・ミドルリターンの好例が投資信託である。リスク管理は基本は「人」にある。能力の高い人材が育っていくことが何より大切。しかい、資産運用にかかわる金融工学の講座は日本にはいくつもない。
これからは、「知」に対する価値を見いだせる教育が必要。知的変化とは、言うなれば人間の変化です。それには長い時間がかかる。アメリカで大学改革がはじまったのは1970年代で、花が開いたのは1990年代だった。日本も長期的スタンスでの教育改革を進めるべきでしょう。 
(2002年3月・日本経済新聞)

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弁護士・中坊公平氏の講演

部屋の中から窓を見ると窓は一つの点えあるが、窓に近ずくと空(現場)が見えてくる。
70歳に達して思うことは、父と母が私を子供として認めた事だと思う。1960年に司法試験に合格して、1962年に弁護士となった。弁護士になった時は、お客も無くて大変だったが、今思うに「良い仕事は、適当な利益と品質の向上が大切」と考えている。
弁護士・中坊公平としては
1. 現場主義者であること
現場の中に物事の本質が見える(現場に神宿る)六官(考える)を使って現場を体験しないと、人は説得できない。現場体験からの迫力と連想が必要になる。物事の先は読めないし、時は人を待たないから、現場を制するものが」全てを制することになる。
2. 株式会社・整理回収機構の社長
1995年6月に社長に就任。司法の理念を実現するため、法律家として責任をとる為に働いた。 回収の手法は「公正と透明」に徹した。●闇の勢力とは手を結ばない ●血も涙もない回収はしない ●けじめをつける ●透明は「情報公開の義務」
   (憲法82条)である?国民に負担を掛けたくないと言うことで会社経営にあたった。
3. 会場の皆さんに
弱者でも生きられる社会、弱者だから他人の痛みがわかる社会、エゴの充満した日本から脱出して「タテ」の「公」より「ヨコ」の「公」を重視して、国民主権の実質化に努力してもらいたい。中坊公平弁護士の締めくくりの言葉は「一燈照隅」「万燈照国」
(2000・11・19・国際ロータリー2760地区大会)

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人事異動の季節 ・山下飛び と 川口飛び 「 組織を変えるには、人を変えよ」

人事移動の季節。自分に関係ない会社や役所の人事は「ひとごと」よ呼ぶのがふさわしいが、なかには注目すべきものがある。中部電力のトップ人事もその一つだ。60歳の川口文夫氏が末席の常務から、いきなり社長に抜擢された。取締役になってから、4年足らず、副社長など上席役員16人(自分を含)を飛び越しての就任だ。電力10社で最年少。
「次の次」と見られていたが一世代を飛ばして約2万人の頂点に立つ。ごぼう抜き人事の前例は24年前、松下電器産業、松下幸之助氏の指名で序列25番目の平取締役からの社長就任があった。東京五輪の体操で飛び出した「ウルトラC」と同じ「山下飛び」と言われた。山下氏は9年間社長を務めての自らの抜擢を解説した出版書「大企業病」は松下を荒療治するためのトップ人事だったと言う。中部電力の「川口飛び」も狙いは変わりあるまい。
電力の自由化など業界の激しい変化の時代「思い切って若返りを図って会社を変えないといけない」と安部浩平会長が語れば、川口氏は「第二の創業期と思っているので、会社を変えたい」と受けた。組織を変えるには、人を変えよ。これが鉄則である。
(中日新聞朝刊「中日春秋」より)

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脚本家・演出家からのメール

この不景気の中で頑張っている事を聞くとほっとします。私もきりきりしながら頑張っています。でも年です。あと何年頑張れるか、自分でも人生が不思議に見えてきました。 お寺に生まれ、芝居をやり、脚本を書き、これも岐阜高校演劇部のために書き始め、中国公演をやり、全国公演をとなり、さらに映画化となるなんて、人間と言うものはどこへ行くのか、どこへ収まるのか不思議です。いずれにしてもあと何年かすれば、みんななくなるのです。
この寂しさが仏を必要とするのでしょう。この頃、そんな本ばかり読んでいます」と言う内容でした。文中の岐阜高校は、当時・愛知淑徳高校と毎年大会で文部大臣賞を争っていた・中国公演・全国公演、映画化とは、途中でタイトルが変わったが、ご本人の脚本「郡上一揆」のこと。
(こばや しひろし氏劇団民芸の故宇野重吉と親交が深かった。(株)アイチテクノ・遠山堯郎の恩人 )

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