つくられた英雄: クロード・イーザリー(劇作家:こばやし・ひろしの作品)
第二次世界大戦末期、昭和20年8月6日。アメリカ特殊飛行部隊は、広島にリトルボーイとよばれた原子爆弾を投下した。原爆を搭載したB29エノラ・ゲイ号である。投下したB29に「快晴、視界良好。第一目標ヒロシマ、攻撃せよ」と打電した気象偵察機ストレートフラッシュ号の機長がクロード・イーザリー(1918.11.11生)であった。 陽気でポーカー好きのテキサス人だった彼は、戦後、戦争を終結させたアメリカの英雄ースーパーパイロットのひとりとして賞賛をあびる。1946.07.01ビキニ環礁でのクロスロード作戦に参加した。
1947年除隊、子をなくし、原爆の恐ろしさを実際に知るにつれ、罪の意識に悩みはじめる。
退役後、誰にも理解されない苦しみの中で強盗事件を起こすなど反英雄への道をころがり落ちてゆく・・・ 1947年キューバの暴動に加担し逮捕、不起訴(29歳)となり、テキサスの石油会社に入社(妻は、2度にわたり流産)。1948の春と夏に「7.1の被爆の結果、障害が現れたとして、退役軍人局を相手に訴訟を起こす。1949年石油会社を辞めるが、ふたたび石油会社に勤める。1950年広島市長あてに送金を始める。同年、睡眠薬を多量に飲んで自殺未遂、精神科に入院。1951年小切手偽造事件をおこし逮捕される。1953年小切手偽造をくりかえし受刑するも短期で出所する。
1954年宝石店で指輪搾取、懲役1年、自殺未遂をおこし精神科へ強制入院、妻と別居、離婚の申請。1955年クレジットカード詐欺で精神科へ強制入院。妻と離婚成立。1956年、郵便局侵入、拳銃強盗などで精神科へ強制入院。病院からの手紙が注目を浴び、反核シンボルに祭りあげられる一方、共産主義者として糾弾される。1973年喉頭がんにより声を失う。1978年7月1日死去。
(このホームページ管理者所見=厳しい時代を走り抜けた、こばやしひろし氏(2011年2月5日他界)の一生は、「劇団はぐるま」「総合舞台はぐるま」の運営など、決して平坦ではなかったけれど 、沢山の仲間と出会って、仲間の面倒を本当に良く見た。中国との文化交流は、こばやしひろし作の「郡上一揆イ」の中国公園をを皮切りに、日本が1978年8月12日の日中平和友好条約調印前から精力的に行っていた)。このHP管理者は、こばやし氏が存在したからこそ、現在の会社と人生があることに感謝している)
個別ページへ |Posted 2011.12.15|