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キーワード・人獣共通感染症


動物と人に感染する病原体によって引き起こされる。200種類以上が確認されている。人の感染症の6割が人獣共通感染症の約6割が人獣共通感染証だという。
近年パンデミックを起こしたインフルエンザや重症性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)、新型コロナ(COVID-19・新型武漢肺ウイルス)などがある。各国の科学者が参加する政府間組織「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム(IPBES)」が2020年10月にまとめた報告書によると、毎年、5つ以上の新たな人獣共通感染症が発生しているという。

哺乳類や鳥類には未知のウイルスが、170万種おり、そのうち63万1千~82万73千種が人に感染する可能性があると推定している。パンデミックによる経済損失は深刻で7月までで推定8兆~16兆ドルとした。予防にかかるコストは、野生動物の取引の制限や土地利用の見直しなどの対策で177億~269億ドルとそんしつの100分の1以下ですむとしている。

同日の記事と一緒に、昭和大学医学部の二木芳人客員教授は(臨床感染症学)は「病床の確保の見通しが甘かった。人材や資金面で医療機関を支援する仕組みもできていない」と指摘する。国の感染証対策についても「常に後手に回っている。司令塔がおらず大きな絵を掛けていない。専門家の意見を踏まえて最大限の想定で備える体制が必要だ」と訴えている。

米国疾病対策センター(CDC)で感染症に携わってきた加藤茂孝氏は「感染症への向き合い方は火山や水害と同じリスク管理だ」と話す。災害はなくならないが、台風の接近前に交通機関を止める、地震に強い建物を造るといった対処で減災はできる。パンデミックの反省を踏まえ、感染症流行の多発が予測される今後の時代に備えて被害を最小にする対策をたてる必要がある。
(2020年12月30日・日本経済新聞から)




個別ページへ |Posted 2020.12.30|

新型コロナで世界は変わった


新型コロナウイルスのの危機は格差の拡大や民主主義の動揺といった世界の矛盾をあぶり出した。経済の停滞や人口減、大国の対立。将来のことを高をくくっていた課題も前倒しで現実となってきた。古代ローマ平和と秩序の女神「パクス」が消え、20世紀の価値観の再構築を問われている。

「人々は同じ嵐に逢いながら同じ船に乗っていない」。米ニューヨーク市の市議イネツ・バロン氏は訴える。同市は新型コロナで約2万4千人もの死者を出した。市内で最も所得水準の低いブロンクス区の死亡率を10万人あたりに当てはめると275。最も高所得のマンハッタン区の1.8倍だ。3月の都市封鎖も低所得者が多い地区の住民は「収入を得るため外出し、ウイルスを家に持ち帰った」(同氏)命の格差が開く。

危機は、成長の限界に直面する世界の現実を私たちに突きつけた。
古代ローマ、19世紀の英国、そして20世紀の米国。世界の繁栄をけん引する存在が経済や政治に秩序をもたらし、人々の思想の枠組みまで左右してきた。ローマの女神にちなみ、それぞれの時代の平和と安定を「パクス」と呼ぶ。だが今、成長を紡ぐ女神がいない。(2020.09.07 日経新聞)

■ 【パクス】は、ラテン語「Pax」はローマ神話の平和と秩序の女神。18世紀の英歴史家エドワード・ロマーナの五賢帝時代を「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」と評し、覇権国によって安定と繁栄がもたされる時代を指す言葉となった」

個別ページへ |Posted 2020.11.4|

中国観(2020年7月・M.FUレター)


いまやアメリカと世界の覇権を争う存在にまで大国化した中国。その隣国である日本にとって、その動向は無視できません。今回は私個人の中国観をお伝えします。
【分裂過程に入りつつある】
中国の歴史を振り返ると、中国は常に分離と統一を繰り返しています。春秋戦国時代より小国分立の中から統一の動きが生まれ、最終的に統一国家となる王朝が成立します。この王朝、しばらくすると世の中がうんできて国内から反政府運動が現れ、最終的に王朝は崩壊し、群雄割譲の状況に陥ります。そこからまた統一の動きが始まります。この分裂と統一のサイクルは、ほぼ、100年単位で繰り返していると見ています。

こうした視点で現在の中国を見ると、1910年の辛亥革命で清朝が倒れてから、約40後の1949年に共産党王朝と言える中華人民共和国が成立しました。ただ清朝は一気に崩壊したのではありません。1840年に始まったアヘン戦争でイギリスに負けた頃から、すでに衰退は始まっていました。それから70年かかって崩壊し、その後しばらく群雄割拠状態が続き、40年かけて統一が実現したのです。

統一から71年が経過し、現在、習 近平体制は盤石のように見えますが、香港の動きをはじめ、国内に広がりつつある大衆の政権への不満を考えれば、底流ではすでに崩壊への萌芽は芽生え始めていると思います。私は、今後さらに強権化が進んでいくと思いますが、それは無理やりに力で抑えなければ抑えられないくらい不満が高まっていることの裏腹と見ています。力で抑えれば抑えるほど、逆に反発も強まり、それが次第に政権への体力を奪い、いずれは崩壊へと至ることでしょう。

【体制崩壊は常に民衆蜂起から】
中国には昔から易姓革命という思想がある。易姓革命ととは「天使は天命によってその地位を与えられて天下を治めるが、もし天命にそむくならば、天はその地位を奪い、他姓の有徳者を天使とする」という思想です。この天命は民意と解され、民衆はときの皇帝が自分たちの意に沿っていないと思えば、皇帝をひきずり下ろしてよい、と考えられているという。事実、中国の歴代王朝は、太古の昔から黄巾の乱や太平天国の乱のように必ず何らかの民衆蜂起がきっかけとなって崩崩壊へと至っている。だからこそ共産党政権は雨傘革命と呼ばれるこんこんの民衆蜂起に神経を尖らし、何としても抑え込もうとしている。この抑え込みは短期的には成功するかもしれません。しかし長期的には失敗に終わり、私は、後世の歴史書には「香港で起きた雨傘革命が共産党政権崩壊にのきっかけとなった」と記述されるようになると考えています。

【家族を信じ国を信じず】
私は「中国人は家族は信じるが国は信じない」と考えています。なぜなら歴史上、国は何度もできては滅んでいるからです。国が滅びれば、その国が発行した通貨やその国の下で担保される土地に対する権利なども全て価値がなくなります。永続しないものは信じられないのです。一方、家族の血のつながりは永遠に変わりません。だからこそ国ではなく家族を信じるのです。この中国家族の固い絆は、国境を越えてつながり、強固な華人ネットワークを形成しています。私はこの華人ネットワークが、今後、共産党政権を衰退させ崩壊へと導く原動力になるのではないかと思います。なぜならばこのネットワークはいくら共産党政権でも、その影響下に置くことはできません。したがって国の内外でいくらでも反政府活動をしたり、それを支援することができるからです。「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、4,000年の歴史がある中国だからこそ、歴史は繰り返されると私は思います。

個別ページへ |Posted 2020.9.6|

LNG火力・備蓄2週間の死角


新型コロナウイルスの感染が海運などの事業継続に影を落とすなか、2020年の春、日本の隠れた停電リスクが浮上していた。発電燃料の4割を依存する液化天然ガス(LNG)は、全量を中東や東南アジアなどから船で輸入。長期保存に向かないことから備蓄量は2週間にすぎない。LNG発電の最前線を死守しようと、東京電力ホールディングスと中部電力が折半出資する火力発電最大手JERAが水際対策を急いでいた。

東京品川区にある品川火力発電所の会議室に、複数の一人用のテントがずらりと並んだ。「感染が広がっても安定供給を続けるため、何十にも対策」をとった。首都圏や中部圏にの電力供給を担うJERAが発電所内に設けた簡易の宿泊所。コロナ通勤のため公共交通機関をつかうと感染リスクも高い状況。

最終手段として作業員を帰さず発電所内で寝泊まりする。さらに、LNGの受け渡しを途絶えさせないためのワークホローも導入された。JERAは、千葉から神奈川に至る東京湾は、日本のLNG発電の最重要拠点が理由である。LNG火力は、今では日本の電量の支柱になった。

LNGは、遠い産地から海上輸送するため、気体をマイナス162度に冷やした液体。徐々に気化してしまうため、大量の在庫を持てないのが難点。日本の備蓄量は2週間程度しかない。中東などからLNGを日本に運ぶには、一ヶ月程度かかる。発電の燃料不足が長期にわたると発電ができなくなる。

コロナ感染が拡大すれば輸入に大きな影響を及ぼす恐れがある。「船内に一人でも感染者がいれば全船員検査や船の消毒が必要で、LNG基地への接岸を拒否される可能性も(大手商社)ある」といわれる。日本のエネルギー自給率は10%と程度、食料の40%w大きく下回る。JERAが、電力の安定供給のために新型コロナ感染拡大時の対策についてニュースが流れないことに疑問を感じる。(2020.04.24の情報から、このホームページ管理者の所見)

個別ページへ |Posted 2020.7.1|

企業30年説  (JR九州会長・唐池恒二)

熱戦の楽しみとは別に、プロ野球から産業の盛衰が学べる。かって唱えられた企業30年説が、球団経営の歴史を見ると実感できる。

セ・パ2リーグによるペナントレースがスタートしたのは、1950年。当時の球団名には、松竹ロビンス、大映スターズ、東映フライヤーズといった映画会社が幅をきかしている。映画が花形産業の時代だった。この頃、南海、阪急、近鉄、阪神といった私鉄も球団経営の主流をなしていた。やがて日本映画界が斜陽となり球団名からも消えてゆく。

70年代には、西鉄が太平洋クラブに、東映が日拓変にわった。鉄道と映画から不動産関連へと移っていった。80年代には、阪急がオリックスに、南海がダイエーにと、当時の金融と流通を代表する企業が登場してきた。2000年代に入ると、ソフトバンク、楽天、DeNAといった「IT企業」が主役の場に躍り出た。

産業界全体の歴史を振り返ってみても、50年代には繊維産業、60年代には鉄鋼・造船が隆盛を極めた。70年代に入ると家電や流通が台頭し、80年代には自動車産業躍進した。そして今「IT産業」の活躍が目覚ましい。最近、映画の人気も復活し、私鉄各社は不動産開発で業績を伸ばし、国鉄も「JR」となり勢いが出てきた。企業30年説とは言い難くなってきた。
(2020.03.16日経新聞あすへの話題から)

個別ページへ |Posted 2020.6.21|

四国八十八ヶ所巡り


今からおよそ1200年前、弘法大師(空海)が42歳の時に、人々の災難を除くために開いた霊場が「四国八十八か所」。後に高弟の真斎が遍歴したのが始まりと伝えられている。最初の寺となる「霊山寺」発願の寺、一番さんなどと呼ばれ、これを巡拝する私たちを温かく出迎え、「いってらっしゃい」とやさしく背中を押してくれる。

西暦815年、この地を訪れた弘法大師は、人間の持つ八十八の煩悩をなくすため、四国八十八の霊場を開こうと21日間の修業をしました。霊山寺の名前は、インドの霊鷲山(りょうしゅざん)から来ている。「天竺インドの霊山である霊鷲山を日本に移す」という意味で竺和山「霊山寺」と名づけられ、八十八ヶ所一番札所になった。

四国参りをされるお遍路さんは、出発の際に誓う「十善戒」がある。①生き物は殺しません②物は盗みません③淫らな男女関係をしません④嘘いつわりを言いません⑤たわごとを言いません⑥悪口を言いません⑦二枚舌は使いません⑧貧りません⑨怒りません⑩正しくない考えは起こしません。この十善戒を誓って、弘法大師の弟子となり巡拝する。

四国四県を巡る全工程は阿波(徳島)で脚を固め、土佐(高知)で心落ち着け、伊予(愛媛)で信に入り、讃岐(香川)で諸願成就し、高野山の奥の院参拝で大願成就し、最後に高野山奥の院参拝で大願成就するといわれる。
(徳島オカベの麺たよりから2020.03.15)

個別ページへ |Posted 2020.5.3|

裏千家の野尻玲子師を訪ねた。


1973年。大学を卒業後、家を継ぐこともできず、ローマへ逃亡した。ローマの芸術大学彫刻家に入学。海外に身をおくことは、その土地を肌で感じ、同時に己自身をしることだ。強い太陽のした、光と影に分断される石作りの街並み。快楽的でしかも理屈っぽい彼らの気質。何もかもが私とは違っている。

裏千家のローマ出張所を主宰する野尻玲子師を訪ねた。彼女は伝道者だ。ローマでこつこつ茶の湯を広めた。稽古場に日本人は一人もいない。建築家や前衛の音楽家、バチカンの神父。欧州各地から彼女の元に集まった人たちは、日本人のように単に行儀作法を学ぶわけではない。彼らは自らの人生の中で茶の湯と出会った。いかに生きるかを己に問い、茶から何かをくみ取ろうとしていた。

音楽家は言う。「茶の湯は楽譜のない音楽だ。ほら、聞いてみろ。全てが最も新しい我々の音楽だ」こうも言った。「茶は静かなバロックだ。湯の沸く音は通奏低温。茶をたてる茶筅の音、衣擦れの音、全てが美しく流れている」と。建築家は語った。「光と闇、物と空間の簡素さ。全ての関係が完璧に美しい」。余白の美を見たのだろうか。

神父は神と人と物との関係に西洋と異なる世界観を見いだした。「日本人は単なる物に接する時も、神に接するが如く最大の敬意を払う。その心のありようはどこから来るのだろうか」。彼らにとって茶は音楽であり哲学であり、何よりの人生なのだ」

私は目から鱗が落ちた。生まれて初めてローマで茶の湯の稽古を始めた。稽古は一時間ほどの座禅から始まる。初歩の所作からイタリア語で習った。「お先に頂戴します」この言葉が日本では口にできない。上滑りの虚言だと反発した。だが、日本かの社会から切り離されたイタリア語なら素直に言えた。

私は、まさに西欧の眼差しを通して、自分自身の日本的なものに目覚めていった。この小さな島国に暮らす日本人は井の中の蛙。己のことすら知らずに暮らしている。彼女はこの文章を書いている私の日本文化への導師である。師は私に様々な日本文化との縁を導き、様々な人と出会わせてくれた。(陶芸家、十五代・楽吉右衛門・楽 直入(らく じきにゅう))

個別ページへ |Posted 2020.4.2|

三浦綾子「細川ガラシャ夫人」


戦国期の武将、明智光秀の娘で細川忠興に嫁いだ細川ガラシャ(玉子)は、敬虔(ケイケン・うらまい、つつしむこと)なキリシタンとして知られる。関ヶ原の戦いの折、西軍の石田三成の人質なることを拒んで最期を遂げたが、この時もキリスト教が禁じる自害を避け、家臣に自らを討たせたといわれる。本書は玉子に大きな影響を与えたのは「人間の価は心にある」と教えた父親の光秀だったという視点で描かれた歴史小説だ。

戦国期の武将、明智光秀の娘で細川忠興に嫁いだ細川ガラシャ(玉子)は、敬虔(ケイケン・うらまい、つつしむこと)なキリシタンとして知られる。関ヶ原の戦いの折、西軍の石田三成の人質なることを拒んで最期を遂げたが、この時もキリスト教が禁じる自害を避け、家臣に自らを討たせたといわれる。本書は玉子に大きな影響を与えたのは「人間の価は心にある」と教えた父親の光秀だったという視点で描かれた歴史小説だ。

発掘調査では茶釜、茶壺、茶入といった茶道具のほか、中国の景徳鎮窯産と思われる輸入磁器も出土した。その一部を展示室で見ることができる。藤孝と光秀は織田信長に仕えた盟友であり、忠興と玉子の婚姻も信長のメイだった。玉子は2年間に2人の子供が生まれたので幸せな新婚生活を送ったとされる。この書で描かれる玉子は女性の生き方や信長の治世のあり方に疑問を抱くような知的な女性で、忠興はそんな玉子を溺愛する。

1582年の本能寺の変で信長を倒した光秀は、山崎合戦で羽柴秀吉に敗れ、この城で最期の夜を過ごした。この後、玉子は様々な苦難に遭い、キリシタンの道を選ぶ。公園の南西の土塁に登ると、遠くに天王山が見える。この土塁の上に天守があったと思われる。玉子が天守から見た眺めはもっと美しかっただろう(2020.2.22.日経新聞・兼吉毅筆から)
(みうら・あやこ(1922~99)北海道旭川市生まれ)

個別ページへ |Posted 2020.2.23|