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産経抄2022.03.08⇒このHP管理者は嘘つきロシアの「ウクライナ侵攻」と題した。


第二次世界大戦の終戦直後、スターリン独裁下の旧ソ連は、60万を超える日本兵を拉致して、強制労働を課した。約、6万人が非業の死を遂げたとされる。
長期の抑留は明らかに捕虜の保護を目的とする「ジュネーブ条約」や日本兵の早期日本国帰還を求めたポツダム宣言に違反していた。ロシアのエリツイン大統領は、1993年の来日時に謝罪している。

・残念ながらプーチン氏はまったく違う立場をとる。昨年の8月、ロシア政府は突然、関東軍をめぐる文書を公開した。「日ソ中立条約の下でも、対ソ連戦の準備を進め細菌戦を計画していた」との内容である。実際には・ソ連が条約を一方的に破って対日参戦し北方領土を不法占拠した。捕虜の抑留を含めて、当時の日本に対する非道を覆い隠そうとする。歴史戦の一環である。

・相手に「悪」のレッテルを貼りつければ何をやっても許される。プーチン氏はどうやら同じ手口でウクライナ侵攻に踏み切った。「ロシア系住民を迫害し核兵器の開発も進めている」何の根拠もない「情報」が、民間人に殺害や原発への攻撃を含めた暴挙の正当化に使われた。国際法違反との批判にも、耳を傾ける気配はない。

・日本人の抑留は「シベリア抑留」と呼ばれてきた。実際には日本から8,000キロ以上も離れた当時のウクライナ共和国にも移送された。ソ連から独立後は、抑留者の情報公開に協力的だった。2年前の南日本新聞に、鹿児島に住む元抑留者の証言が載っていた。「過酷な日々が続いたが、ウクライナ人は好意的に接してくれた」と言う。実際、他の地域と比べて死亡者は少なかった。「ソ連当局やソ連兵に恨みや憎しみはあるが、ウクライナ人には一切ない」と。

管理者の個人的な意見
1945年9月、北海道島民が「嘘つきソ連に北方四島」を騙されてとられた。
もし、ロシアが「北方四島共和国」をつくれば、北海道を攻められても不思議ではない。
PS:2022.03.13
3月11日、ロシアは、北方四島周辺で10隻のロシア艦艇で軍事演習をした。

個別ページへ |Posted 2022.3.8|

すべては従業員に教わった (作家・北 康利)

『すべては従業員に教わった』成功の鍵は現場にあり。
現場に謙虚に耳を傾ける姿勢が、社長の求心力と従業員のヤル気につながっていく。

■『ばかっちょら!!』

草創期のホンダの工場は、創業者の本田宗一郎の怒鳴り声が絶え間なく聞こえていたという。そんな本田は『現場・現物・現実』を大切にし、いつも作業員姿で従業員とともに油まみれになって新しいエンジンの開発に取り組んでいた。”おやじさん”と慕われていたが、熱血指導ではじめると手がつけられなくなる。だが、現場の従業員が本当に怖かったのは、指示通りできなかったことではなく、質問攻めに遭うことだった。

「なぜ、このエンジンはこんな形をしているのか?」「なぜこれだけしか生産できないのか?」「なぜもっとスピードがでないんだ?」本田は小学生のような純粋さで、納得がいくまで彼らを質問攻めにした。「おれは小学校しか出ていないから、みんなに聞いたほうが本を読んだりするより早くわかるから教えてもらうんだ」経験の長い本田が従業員より知識が少なかったとは思えない。

だがそれでも彼は質問した。答えに納得がいかない場合、「もう少し勉強してみたら教えてくれるか」とまで言った。社長の期待に応えるべく、従業員が必死に勉強したのは言うまでもない。従業員から学ぶことは大切だ。彼らが現場から拾い上げてきた知恵に、経営者は謙虚に耳を傾けねばならない。そして現場からの声が少ないと感じたら、彼らを叱咤してでも吸い上げていかねばならない。成功の鍵はすべて現場に落ちている。そのことを経営者は忘れてはならない。

■ワコルーを作った女傑

ワコールは日本企業には珍しく女性が支えてきた会社だ。その歴史の中で何人もの伝説の”女傑”が表れるのだが、渡辺あさ野という縫製技術者はその筆頭であった。父親を2歳で亡くし、貧窮のどん底を経験した苦労人である。小学校にも行かず、地頭の良さで海軍陸戦隊の工場に務めて頭角を現わす。

とにかく数字に強い。大量生産の工程管理を確立させ、落下傘制作の流体力学問題についても専門家のような発言をするようになった。終戦後、塚本幸一に工場を見てくれと言われ彼女は、現下にこう言い放った。「そんなやり方して儲かるわけないでしょう!」

当時は、一一枚のブラジャーの縫製工程を一人の職人が行っていた。渡辺に言わせれば無駄だらけだったのだ。「そない偉そうに言うんやったら、おまえやってくれ!」こうして渡辺の入社が決まった。すると社内の縫製工場はすべてフォード方式の流れ作業になり、トイレに行く時間まで管理されるほど綿密な作業工程が作られ、生産量は飛躍的に向上した。塚本は下請け工場の指導、導入する機械の選定もすべて渡辺に任せた。渡辺は期待に応え、次々に工場を稼働させていった。

塚本は最初、縫製の現場は職人肌の人間に任せ、ほとんどがノータッチだった。だが、すぐれた技術者の言葉に謙虚に耳を傾け、彼女をスカウトすることがワコールの快進撃のスタートラインとなった。やはり、成功の鍵は現場にあった。

■そうせい候

長州藩といえば、攘夷の先頭に立ち、倒幕の先頭にもたち、明治政府を支え、初代総理・大臣伊藤博文を輩出した雄藩である。その原因をたどると一人の人物にたどり着く。それが長州藩主・毛利敬親である。家臣からの上申に「そうせい」と言うことが多かったため「そうせい候」と呼ばれているが木綿服を着て財政再建の先頭に立ち、吉田松陰の才能を愛して重用し、軍備拡張にも取り組んだ名君であった。

特に、彼の偉いのは、禁門の変に触れ、官位を剥奪され、朝敵として長州征伐の対象になっても家臣たちを信じ続けたことだ。版籍奉還にも抵抗せず、むしろ国を強くするために必要な政策だと、木戸孝允の上申に「そうせい」と応じた。彼に私心がなく、現場の意見に素直に耳を傾けるリーダーだったからこそ、長州藩は幕末維新期に大きな存在感を発揮し続けることができた。

「そうせい」とは、サントリーの鳥居信次郎・佐治敬三親子流に言えば、「やってみなはれ!」だったのだろう。自らリーダーシップを発揮するのだけが名君でないことを、「そうせい候」は時を超えて我々に教えてくれている。

個別ページへ |Posted 2022.3.3|

台湾民主化の父・李 登記総統の秘書・早川友久


台湾民主化の父、李 登記総統の日本人秘書がFacebookに載せた新年の挨拶です。
新年あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
昨年はコロナの急拡大に見舞われた台湾でしたが、官民一体となった防疫対策と、日本をはじめとする国際社会の支援で、今では夜市もこんなに賑わうほどとなりました。
台湾海峡の緊張は相変わらずでので、本年も引き続き日台関係と台湾への関心と応援をよろしくお願いいたします。


11月20日(土)に台中市の国立中興大学で「台日安全保障シンポジウム」に登壇させていただきました。
発表時間は10分程度でしたが、私がお話した内容は下記の通りです。「1999年9月に台湾中部で発生した『921大震災』のとき、世界中で一番最初に救援隊を派遣したのが日本だった。当時、日本の救援隊は最新鋭の機器を駆使して行方不明者を探す一方、遺体で発見された際には『助けられなくて申し訳ない』と遺族に謝罪したという。これらのエピソードは今でも語り草になっている。

私は2007年から台湾に住んでいるが、私が日本人だと分かると『あのとき一番最初に台湾に助けに来てくれたのが日本だった、ありがとう』と言われたことは一度や二度ではない。
今年5月、台湾はコロナの市中感染が急拡大したが、台湾社会に衝撃を与えたのがワクチンの在庫不足だった。急遽購入しようとしても、蔡英文総統が「中国の妨害により契約できてない」と明言したように、ワクチン調達は難しいと思われた。『これからどうなるのか』というのが、台湾在住の日本人も含め、台湾社会の正直な気持ちだっただろう。あの当時の暗い雰囲気は私自身もよく覚えている。

6月3日の夜、突如『日本からのワクチンは明日午後、台湾に到着』とのニュース速報が流れた。翌日、ワクチンを載せた日航機が台湾桃園国際空港に着陸する光景はすべてのニュースチャンネルが生中継していたし、私自身も見ていた。あの日の夜、台北101ビルや有名ホテルが「ありがとう日本」とライトアップして日本への感謝を表明し、SNS上は「謝謝日本!」のコメントであふれた。まさに日台関係が大きく前進する一歩を目撃したと感じているが、これもやはり世界中で一番最初に台湾にワクチンを送ったことに意義がある。

10月に行われた財団法人台湾民意基金会の世論調査で「台湾がもし中国による武力侵攻を受けたら、日本は介入すると思うか」という設問に対し、58パーセントが「思う」と答えた。この数字について、私は「けっこう高いな」と感じた。というのも、李登輝総統が日本に大きく期待する一方で、「日本はもっと強くならなければならない」と常に叱咤していたように、日本がときに中国の顔色を伺うばかり、台湾に冷淡な態度を取ることが多々あったし、そう感じている台湾の人たちも少なくないからだ。

実際、2018年に交流協会台北事務所が台湾で行った世論調査で、日本は「好きな国はどこか」などの設問で1位になったものの「台湾に影響力のある国はどこか」という設問については、1位が中国、2位がアメリカで、日本は3位だった。良くも悪くも台湾に影響力があるのは中国であり、米国なのは間違いない事実だ。

だからこそ、10月の世論調査で58パーセントの台湾人が「台湾がもし中国による武力侵攻を受けたら、日本は介入すると思う」と答えたことが予想外に高いと感じられた。その理由として、私個人の考えだが、今年6月に日本が世界で最初に台湾へワクチン寄贈したことが背景にあるのではないだろうか。日本が中国のことを気にせず、台湾へ寄贈したことで、日本に対する信頼や期待が高まったといえるのではないか。

そう考えると、冒頭紹介した921大震災のエピソードのように、今年ワクチンを寄贈したことは、これから10年後、20年後、30年後の日台関係にとって大きな財産になるだろう。外交においては2番とか3番では意味がなく、やはり1番でこそ意味があるわけで、文字通り「2番じゃダメなんです」と言えるのではないだろうか」

ご一緒させていただいた、産経新聞の矢板明夫支局長、中央通訊社の張瑞昌社長をはじめ、関係者の皆さま、ありがとうございました。

個別ページへ |Posted 2022.2.3|

令和4年(2022年)の干支・壬寅


令和4年(2022年)は「壬寅(みずのえ・とら)年。皇紀2682年・昭和で数えると97年。壬(みずのえ)という字は、中央の支柱にふくらみがある鋳造の台を表し、強く支えるという意味から「壬(みずのえ)」、太くふくらんでいるという意味から「妊(はらむ)」という字に通じ、そこから「任せる(まかせる)」、「陽気をはらむ」という意味があると言われている。

寅(とら)という字は、下の八は、真ん中は手を合わせる姿を表し、そこから「つつしむ」「約束する」「協力する(協力しあって大義を果たす)」「助ける」という意味があると言われている。この干支から令和4年(2022年)の動きを推測すると、新たな動きが胎動をはじめ、それが発展していく年になる。そのためには適材適所で人材を選び、その人に任せるべきことは任せて、互いに協力して物事にあたることが大切。間違った人に任せたりしないように十分に注意して、常に慎んで行動することが大切と言われています。

 

個別ページへ |Posted 2022.1.5|