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内臓脂肪蓄積の組織解明・肥満治療(横浜市立大2023.11.04産経~)

現代社会では、肥満症が世界的に拡大し、深刻な問題になっている。中でも、内臓脂肪型肥満はさまざまな疾病のリスクが高まるため、効果的な治療法の開発が急務だが、内臓脂肪蓄積のメカニズムが不明で、決定打は見つかっていない。そんな中、横浜市立大が最新の研究で、免疫細胞に含まれる特殊なタンパク質が内臓脂肪の蓄積を促進している仕組みを解明。この働きを抑制し、内臓脂肪型肥満を解消する画期的な治療法が実現しそうだ。

4人に1人が肥満になる
世界肥満連合(WOF)によると、世界では現在、約20億人が肥満あるいは過体重で、有効な対策がとられない場合、2035年までに4人に1人が肥満になるという。米コロラド大の調査では、健康的な体重の人に比べ、肥満者の死亡リスクは約2倍にはね上がっていた。危機感を抱く人も非常に多く、デンマークの製薬大手ノボノルディスクが2021年に発売した肥満治療薬「ウゴービ」は、需要に供給が追いつかないほどの世界的大ブームだ。

肥満の中でも特に、腹部の内臓を取り囲むように脂肪が過剰に蓄積する内臓脂肪型肥満は、高血圧、糖尿病、虚血性心疾患などのリスクがさらに高まり、生活習慣病とも密接な関係があることから、効果的な治療法の早期開発が求められている。

内臓脂肪が蓄積しないようにできれば一番いいのだが、蓄積のメカニズムが分かっていないため実現していなかった。そのため、肥満が軽度の場合は医師による食事指導、中程度以上の場合は食欲を抑制し満腹感も促進する薬の投与や、胃の一部を切除して消化できる量を減らす手術などが行われている。ただ、いずれも食物の摂取量を減らすことが主眼で、内臓脂肪の蓄積に直接働きかけるものではなかった。

ATRAPが肥満の元凶
横浜市立大の研究チームは、まず、マウスに高脂肪の餌を与えて肥満にさせ、体内で何が起きているかを観察した。早い段階で、免疫細胞の一種である白血球に含まれる特殊なタンパク質「ATRAP(エートラップ)」が、平常時に比べて約3割増加。また、8週間後には、マウス1匹当たり、平均約2グラムの内臓脂肪が増加していた。

チームは、ATRAPが内臓脂肪の蓄積に関与している可能性があるとみて、ゲノム(全遺伝情報)編集によって、免疫細胞のATRAPを生成する機能を失わせたマウスを作製。同様に、高脂肪の餌を与えたところ、1匹当たりの内臓脂肪量は、通常のマウスより40%少ない平均約1・2グラムにとどまり、肥満が大幅に抑制された。

さらに、内臓脂肪の組織を詳しく調べたところ、別の免疫細胞である「M2マクロファージ」の量が約半分に減少していた。マクロファージは、体内に侵入したウイルスなどの異物を食べて死滅させる役割を担うが、M2マクロファージはこれまでの研究で、脂肪組織を肥大させる働きもあることが分かっている。そのため、ATRAP欠損マウスで内臓脂肪の蓄積が抑制されたのは、M2マクロファージが減少したためとみられる。

10年以内に画期的治療薬
これらから、高脂肪食を取り続けると免疫細胞のATRAPが増加し、それがM2マクロファージを増やして脂肪組織を肥大させるという、内臓脂肪型肥満の進行メカニズムが判明した。実験や分析を担当した同大付属病院の塚本俊一郎医師は、「ATRAPを標的にすれば、内臓脂肪型肥満の画期的な治療法、予防法を実現できる可能性がある」と話す。

まず考えられるのは、ATRAPを作らないように遺伝子を操作した免疫細胞の移植や、ATRAPの働きを抑制する薬剤の投与などによる、これまでとは全く違ったタイプの内臓脂肪型肥満の治療法だ。

また、体内のATRAPの量を調べれば、内臓脂肪型肥満になりそうかどうかを判定するマーカーになり得る。肥満の初期段階から増加するため、量が多くなっていれば内臓脂肪を蓄積しやすい状態になったと判定でき、早いうちから対策を取ることができる。

涌井広道・同大准教授は「今後は人を対象とした臨床試験を行い、5年程度でマーカー、10年以内に治療法を、それぞれ実用化したい」と意気込む。

実は、ATRAPが関与しているのは内臓脂肪の蓄積だけではない。腎臓や心臓、脳などの細胞や組織で通常と異なる状態になると老化を促進することも、最近の研究で分かってきている。チームを統括する田村功一・同大主任教授は「ATRAPは、さまざまな疾病の治療に役立つ可能性がある。今後も多様な組織、細胞における役割や働きを解明していきたい」と話した。

個別ページへ |Posted 2023.11.4|

月刊「正論」発行人有元 隆志の論考

【岸田首相は国家指導者失格か】
「テロ」を「テロ」と呼ばない岸田文雄首相は国家指導者として失格ではないか。そう思わざるを得ない「X」(旧ツイッター)への首相の投稿があった。イスラム原理主義組織ハマスによるイスラエル襲撃を「強く非難する」としたが、「テロ」の表現を避けた。イスラエルの反撃でパレスチナ自治区ガザ地区でも多数の死傷者が出ていることに言及し「深刻に憂慮しており、全ての当事者に最大限の自制を求める」と述べ、イスラエルにも自制を求めた。

しかし、イスラエル・ハマス戦争は双方のバランスを取るような事態なのか。撃が起きたのは7日早朝(日本時間同日正午頃)。米英首脳が中東時間で7日のうちに反応したのとは対照的に、岸田首相が見解を出したのは襲撃から丸1日以上経過した日本時間8日夕のXが初めだった。遅れた理由について日本経済新聞は「周辺国の動きを探っていたとの見方がある」と報じた。

首相の投稿について説明した日本政府当局者は、イスラエルとパレスチナにパイプがある日本の強みを生かして双方に沈静化を働きかけるとメディアに解説。新聞各紙は「バランス外交模索」(朝日新聞)、「米欧と異なる対応」(産経新聞)と報じた。仲介役として「平和的解決」を目指せると本気で思っているのだろうか。岸田首相や外務省の一部官僚の単なる夢想である。どっちつかずの対応は誰からも信頼されない。

イスラエルとパレスチナの対立には長い歴史的な背景があるが、岸田首相は襲撃をわが身に置き換えて考えることはしなかったのか。ある日突然、日本が国外から襲撃されて多数の国民が殺され、拉致されたらどうするつもりなのか。友好国から「最大限の自制」を求められたら反撃を思いとどまるのか。即座に応戦態勢を取り、人質を取り戻すため最大限の努力をするのが指導者の務めではないのか。そもそもハマスはパレスチナを代表する組織ではない。日本政府はハマスをテロリスト等に対する資産凍結措置の対象としている。

結局、日本政府が今回の襲撃を「テロ」と非難するようになったのは11日になってからだ。主要7カ国(G7)メンバーの米英仏独伊5カ国が9日にイスラエル支持の共同声明を発表したが、G7議長国の日本の名前はなかった。岸田首相は5月に出身地の広島でG7広島サミットを開催した時点で、お役御免と思っていたのかもしれないが、年内まで議長である。G7広島首脳コミュニケ」では「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を堅持し、強化する」と謳った。岸田首相がそれを実現するための責任を果たせないようなら、一刻も早く退陣してもらったほうが国益になる。

個別ページへ |Posted 2023.10.16|

大阪「正論懇話会」岩田清文氏の講演(台湾日本有事の備え)

習近平国家主席は長期独裁化で毛沢東を超える英雄になろうとしており、台湾統一のためには武力行使も辞さない。一方、台湾では兵役義務を延長し、防衛力を整備。米国では侵攻時期が早まって2025年になるのではないかという見方もある。政府は昨年12月、「国家安全保障戦略」など3つの戦略文書を作った。これまで厳しい見方を避けてきた中国を事実上「脅威」としたことは歴史的。経済なども含めた総合的な国力による安全保障体制の強化や、日米同盟のさらなる強化が必要だ。

中国はアヘン戦争以来、半植民地化された「屈辱の100年」を乗り越え、覇権を持とうとしている。今や海軍は米国をも抜く世界最多の軍艦を保有している。西太平洋における2025年時点の戦力予測では、中国は近代的な戦闘機だけでも米国の7・8倍だ。米国は中東などに戦力を持っているが、たとえ持ってきても1カ月以上かかる。この間に習主席は台湾を乗っ取ろうという計画だ。

習主席は最初から軍事力は使わないだろう。情報を遮断した上で台湾の周りで大演習を繰り返して台湾人を混乱させ、政治工作を行って総統の首をすげかえようとする。しかし台湾の方々は帰属意識が強いので、最後は軍事侵攻しかない。小競り合いになると、最悪の場合、沖縄県の与那国島、石垣島、宮古島の上空は戦闘地域になる。政府は島民らを避難させる一方、島々を守るため自衛隊を展開させる。米軍も一部を日本に展開し、中国が侵攻するなら戦う意志を見せつけて抑止する。

それでも習主席が「過信」と「誤算」で侵攻を決意すれば軍事侵攻が始まる。習主席は日本の米国支援を妨害し、米軍の展開を遅らせれば台湾侵攻は成功するとみている。非軍事的には交通機関や政経中枢の破壊工作、サイバー攻撃をした上で、フェイクニュースを流して日本全体をパニックにする。その上で在中日本人らを利用した人質外交などを行い、核による恫喝(どうかつ)を行う。そして最終的には軍事力の行使を始める。日本の自衛隊基地のみならず、社会インフラすべてに攻撃を仕掛けてくるだろう。

そうさせないためにも、相手からさらなる武力攻撃を防ぐための「反撃能力の保有」や、短期決戦を目指す中国に対するため、平時から抑止体制を強化する「即応力」、地下シェルターを建設する「抗堪(たん)力」などが必要だ。一番大切なのは国民の戦う意識である。意識調査の結果、「もし戦争が起こったら、国のために戦いますか?」という問いに対し、日本は「はい」が13・2%で世界最低だった。自分の国は自分で守ろうという国民でないと、同盟国の米国だって助けには来ない。

戦争は軍事のみの戦いではない。銃を持って戦うのは自衛隊だが、全省庁と地方自治体、公共機関すべてが、それぞれの持ち場で「闘う」。この「闘う」という姿勢が大切なのだ。戦争は過信と誤算によって起こる。

個別ページへ |Posted 2023.9.15|

戦後からの脱却を 産経新聞・阿比留瑠比氏2023.08.15

東京・日本武道館での全国戦没者追悼式をはじめ、終戦の日は多くの鎮魂や追悼の行事、集会が催される。日本にとって大きな節目を迎えた日なのだから当然だが、この日が「戦後78年」だと強調されればされるほど、相変わらず「戦後」の枠組みの中で語られていることに違和感も覚える。

大きく変遷する激動の世界にあって、いつまで先の大戦から何年という視点にとらわれていなければならないのか。「戦後」とは何か。日本が敗戦国という位置づけに封じ込められ、あるいは自ら好んで閉じ籠もってきた歳月のことだろう。

日本は長年、「歴史は勝者が書くものだから」(外務次官経験者)とそれを受け入れ、外交では謝罪外交、土下座外交を繰り返し、国防はないがしろにし、子供たちの歴史教科書すら外国に当然のごとく干渉されても唯々諾々と従ってきた。

何よりいまだに一度も改正していない憲法が「戦後」の象徴である。バイデン米大統領は副大統領時代の2016年8月の選挙演説で、当時の共和党のトランプ候補に向けてこう言い放った。

「核保有国になれないとする憲法を、私たちが書いたことを彼は知らないのか」

連合国軍総司令部(GHQ)民政局次長として日本国憲法起草グループの実務責任者だったケーディス氏は、産経新聞の古森義久・ワシントン駐在客員特派員に対し、憲法の目的について赤裸々に語っている。

「最大の目的は日本を永久に非武装にしておくことでした」

日本が米国の庇護(ひご)下で経済成長に専念できた時代は、それでよかったのかもしれない。だが、今やロシアによるウクライナ侵略を例に引くまでもなく、中国や北朝鮮の軍事的脅威が厳然と目の前に存在する。相対的に米国の力は弱まっている。

もはや「戦後」から脱却し、新しい時代に適応しなければ日本は生き残れないだろう。

昨年7月に暗殺された安倍晋三元首相を、坂元一哉大阪大名誉教授は「戦後を終わらせた首相」と呼んだ(本紙令和2年10月19日付朝刊)。理由は、安全保障関連法や戦後70年談話で、「戦後長く続いた安全保障の法的基盤における重大欠陥を是正し、また戦後日本外交を必要以上に後ろ向きにした歴史認識問題に一応の決着をつけたこと」などだった。同感である。

過去の体験を検証し、教訓を得ることは大切である。だが、占領政策を引き継ぐかのようにやたらと「戦後」を唱え強調するのは、そろそろやめにしたい。

個別ページへ |Posted 2023.8.15|

AIは世界をどう変えるのか  筑波大大学院・博士後期課程・矢倉大夢氏

●AIがもたらす未来
■良い側面
AIの力を使って情報の操作を簡単にすることで、クリエイテブな活動や創作のプロセスが民主化され、さまざまな人が自分の能力を発揮できるようになる可能性があります。例えば、お絵かきAIのサポートを通じて輪郭線だけのイメージを具現化したり、AIを活用して容易にウエブサイトのデザインや音楽制作をしたりすることができます。

また、プロの能力を拡大する未来も考えられます。囲碁の世界では既に、AIがプロ棋士のの練習に使われるようになり、新しい戦力やバリエイションが生まれるようになり、新しい戦略やバリエイションが生まれるようになりました。これによって、人間の能力がさらに進化し、人間同士の対局においても新たな展開が生まれています。

■悪い面
しかし、悪い面の進歩には悪い面も存在します。情報の操作にコストがかからなくなると、フェイクやゴミ情報が増え、偽情報が簡単に拡散されてしまう可能性があります。AIを利用してフエイクニュースや偽の記事を作成することが容易になり、現実の出来事に影響を与えることもあります。これにより社会や個人に深刻な影響が及ぶ可能性があります。

また、AIを騙すためのAi技術も進化しており、AIが誤認識したり悪用されたりするリスクも存在します。例えば、Aiを騙して自動運転車がわざと誤認するように仕向けたり、ALEXAなどの音声アシスタントを不正に操作したりできます。これらの技術の悪用により、セキュリテイや個人のプライバシーな関する問題が生じる可能性はいがめません。

■まとめ
最近、AIの能力は大幅に広がり、様々な人々の表現や能力をさらに向上させる可能性を秘めています。だたし、新しい技術を導入する際には常にリスクが伴います。しかし、日本がそれを恐れてAIを避け続けるだけでは、技術の発展は望めません。常に注意を払い、AIを有効活用することが、日本社会の進歩につながると信じています。そして今が、その重要なターニングポイントであると考えています。
(2023年7月3日の講演会から抜粋)

個別ページへ |Posted 2023.8.1|

安倍元総理首相死去から一年(2023.07.08産経抄)

安倍晋三元首相が自民党幹事長代理当時の平成16年10月、月刊「松下村塾」という雑誌に応援メッセージを寄せていたと最近、知った。安倍氏はその中で平成3年5月に死去した父、晋太郎元外相について記している。「67歳で亡くなった父には67歳の四季があったように思います」

松下村塾で人材を育み、明治維新の原動力となった吉田松陰が処刑前日に書いた「遺書」、『留魂録』の言葉を引いたものだった。安倍氏は、父は生涯を全うしたと説き、こう続けた。「一番近くにいた自分が志を見て、受けついで、またそれを伝えていくことで、安倍晋太郎の生涯は喜べる生涯だったのではないでしょうか」

昨年7月12日の安倍氏の葬儀では、妻の昭恵さんがやはり『留魂録』を引用してあいさつをした。「政治家としてやり残したことは、たくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後の冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」

安倍氏は事あるごとに、『留魂録』の言葉を昭恵さんに話して聞かせていたという。松陰は弟子たちに訴えている。「われを哀(かな)しむなかれ。われを哀しむはわれを知るに如(し)かず。われを知るとは、わが志を知り、それに帆を張り、大きく進めてゆくことなり」

ジャーナリストの徳富蘇峰は著書『吉田松陰』で、こんな松陰像を描く。「彼が一生は、教唆者に非(あら)ず、率先者なり。夢想者に非ず、実行者なり」「彼の生涯は血ある国民的詩歌(しいか)なり。彼は空言を以(もっ)て教えず、活動を以て教えたり」。松陰と安倍氏が重なって映る。

安倍氏の一周忌を迎え、改めて願う。安倍氏の志を受け継ぐ種たちがそれぞれの形で咲き誇り、実を結ぶ収穫の日が早からんことを。

個別ページへ |Posted 2023.7.8|

産経抄から(北朝鮮)2023.06.03

元大本営陸軍部参謀で伊藤忠商事会長などを歴任した瀬島龍三さんは昭和10~11年頃、満州国(現中国東北部)東部の白頭山系の密林地帯で匪賊(ひぞく)討伐作戦に就いていた。このとき、後に北朝鮮の国家主席となる金日成(キム・イルソン)の部隊から銃撃を受け、九死に一生を得たこともある。

もっとも当時、金日成の部隊を名乗る匪賊は複数あり、本物だったかどうかは分からない。ともあれ白頭山は朝鮮民族にとって特別な霊山であり、世襲3代の金王朝も「白頭山の血統」を強調し、一族の神格化に努めている。その神通力も限界に近づいたのか。拉致被害者「救う会」の西岡力会長によると、「北朝鮮社会の崩壊が始まった」という。すでに例年の3倍の餓死者が出ているほか、4月に入り北朝鮮の政治警察である国家保衛省から報告された反体制事件は1千件に及ぶ。警察官、朝鮮労働党幹部らが襲われる事件も頻発している。

金正恩(ジョンウン)朝鮮労働党総書記の妹、金与正(ヨジョン)氏は4月、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の訪米を受けた談話で「(バイデン米大統領が)『政権の終焉(しゅうえん)』という表現を公然と直接使った」と非難した。これを北朝鮮のテレビが放映すると、多数の人民から「政権を倒してくれるならありがたい」「早く攻撃してほしい」との声が上がった。

2日の小紙朝刊は、減量していたはずの金総書記の体重が、ストレスによる反動で140キロ台半ばに増えたとの韓国の情報機関、国家情報院の分析を報じている。金総書記が連れて歩く丸々とした娘を含め、飢餓状態にある人民の目にはどう映るか。

平成14年9月の小泉純一郎首相による初訪朝時もそうだが、北朝鮮は困り果てると日本に目を向ける。岸田文雄首相は拉致問題進展のチャンスをつかんでほしい。

個別ページへ |Posted 2023.6.9|

家康と茶の湯(徳川美術館・加藤祥平氏)

天文11年(1542)12月26日、三河国岡崎城(愛知県岡崎市)城主・松平広忠の息子として誕生・幼名は竹千代・当時の松平家は。尾張の織田、駿河の今川と二大勢力に挟間れた国衆で天文15~16年(1543~47)に今川・織田から攻められたことを背景に、駿府で今川を支える親類衆の武将として、養育された。

諱は今川義元より偏諱(へんき)を受けて元信、次いで元康と名乗るが、永禄3年(1560)5月19日の桶狭間合戦で今川義元が織田信長に討たれたのち、信長と交戦後に和睦し、さらに永禄6年(1563)に息子(信康)と信長の次女・徳姫が婚姻し、信長と同盟関係になったことから家康と名乗る。永禄9年(1566)年5月に三河平定を果たしたのち、12月に名字を「徳川」と改める。

天正3年(1575)5月の長篠合戦で、信長とともに武田を破るなど、信長と強い同盟関係を築きながら勢力を伸ばすが、天正10年(1582)6月2日、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、織田信雄(信長次男)・羽柴秀吉と織田信孝(信長三男)・柴田勝家とお織田政権内における主導権争いが勃発し、天正11年(1583年)4月賤ヶ岳合戦で秀吉が勝利した後は、秀吉の天下となるも、文禄5年(1896)には「正二位内大臣」に叙任され、秀吉に次ぐ官位官職を誇った。

慶長3年(1598)8月、秀吉が去ると、家康は豊臣政権内で最大実力者となり、慶長5年(1600)9月5日、関ヶ原合戦で石田三成や対抗勢力を排し、慶長8年(1603)2月12日、政治基盤を確固とし、戦国の世に終止符を打った。そして、元和2年(1616)4月17日、家康は駿府城にて生涯を閉じ、「東照大権現」として祀られた。

信長は、室町将軍家ゆかりの名物茶の湯道具(東山(殿)御物)を蒐集し、贈答に用いることで政治的価値付けをした。強制的な「名物狩り」と言われてきたが、実際には献上が多かったと考えられてりる。
秀吉は、その手法を踏襲しつつ、名物茶の湯道具を蒐集・使用することで信長の後継者であることを誇示していた。さらに自身の政権の発展を宣伝し、天正15年(1587)10月の北野大茶湯に代表されるように盛んに茶会を開いた。

家康も、信長と秀吉の時代に築かれた名物道具の価格体系をほぼそのまま受け継いだと考えられる。慶長20年(1625)大坂夏の陣で焼失した。

『東照宮御實紀附録』巻七に次の一節が記載されている。
あるとき、関白秀吉が諸大名を前にして「自分の宝は虚堂智愚(きょどうちぐ)の墨蹟・粟田口吉光(あわたくちよしみつ)どのの品々であるが、皆のものは何であるか尋ねたところ、毛利輝元や宇喜多吉光らが答えた。

家康は一人黙っていたので、どのような宝があるのか尋ねられた。
そこで家康は、「三河の片田舎の生れだから珍しい書画や調度などんの蓄えはないが、自分のためには水や火にも身を投じることを惜しまない五百騎ばかりがいる。彼らこそが宝である」と答えた。それを聞いた秀吉は幾分恥ずかしそうにして「そのような宝は自分も欲しいものだ}と返したという。

個別ページへ |Posted 2023.5.14|

牧野富太郎博士(産経抄2023.05.06から)

この連休中、NHK連続テレビ小説『らんまん』のモデルで日本植物分類学の父、牧野富太郎博士の名を冠した高知県立牧野植物園(高知市)を訪ねた。陽光の下、清々(すがすが)しい風に吹かれてそれぞれの名が記された草木を見て回ると、俗塵(ぞくじん)にまみれた心身が洗われる思いがした

▼園内の記念館では、牧野博士のこんな言葉が紹介されていた。「雑草とか雑木とか一口にいって片づけてしまう草や木にも、その一つ一つに名があり、物語が秘められています」。朝ドラの中でも、青年時代の博士が同様のセリフを語る場面があった

▼「雑草という草はない」との言葉は、昭和天皇が述べたことでも知られる。元毎日新聞記者の岩見隆夫さんの著書『陛下の御(ご)質問』によると、ご訪問先で案内役を務めた安倍晋太郎農相が「この先は雑草です」と説明したのに対し、昭和天皇が異議をはさまれたことで政界に広まったという

▼牧野博士は昭和23年、皇居で昭和天皇に植物学をご進講している。植物に深い関心があった昭和天皇はその8年後、牧野博士の病状が悪化した際には自宅にアイスクリームを届けられた。牧野植物園では、昭和天皇が贈られた皇居・吹上御苑のヤマザクラが青々と茂っていた

▼記念館は高知県出身の「信念の大政治家」として、浜口雄幸元首相の経歴も展示している。昭和5年に東京駅で暴徒の銃撃を受けたことや、現在も歴史的な現場付近には事件概要を記すプレートが埋め込まれていることも

▼昨年7月8日に凶弾に倒れた安倍晋三元首相の場合は、奈良市の暗殺現場一帯は車道として整備され、近くに名もなき小さな花壇が設置されたにすぎない。まるで、安倍氏が存在した歴史も名前も消し去ろうとするかのようである。

個別ページへ |Posted 2023.5.9|

日韓関係(ふるげんマンスリー185から)

韓国側から提起された慰安婦問題や徴用工問題などえ10年以上に冷え込んでいた日韓関係が、先日行われた日韓首脳会談を契機に向けて大きく動き出した。

<繰り返されるちゃぶ台返し>
手放しで喜べないし、信用はできません。なぜなら韓国政府はこれまで何度もそれまでの態度を一変させる、いわゆる”ちゃぶ台返し”を行ってきたから。2010年、この時は日韓併合100年という節目にあたり、当時の李 明博政権は大変親日で、日韓FTAの締結をはじめ日韓関係を強固なものにしたいという意思を持っていました。

そして日韓併合100年を境に、今後は過去を振り返らず、未来だけ向いて前進させたいとの強い意向を日本側に伝えてきた。日韓併合が行われた8月22日に首相談話を発表し「日韓友好の証」として韓国側が熱望していた、朝鮮王朝儀軌の引き渡しを決断した。「もう二度と過去を振り返ることはない」という李大統領の言葉を信じての決断であった。

ところが李大統領はその後、現職大統領として初めて竹島に上陸。日韓関係をぶち壊した。その後安倍政権下で慰安婦問題について「不可逆的合意」を、当時の岸田外相が日韓外相間で行ったにもかかわらず、反故にされた。残念ながら韓国政府は、これまでこうした”ちゃぶ台返し”繰り返してきた。「今回は大丈夫」と言われても簡単には信用できない。

<反日は韓国政府のキラーコンテンツ>
多くの韓国の政治家は日韓関係の重要性を認識している。個人的には親日であるが、表にだして言いにくいのが韓国政治だ。反日的な言動や行動をすることは、自分の政治的地位を守る上で大きな武器である。だからわざと反日的な言動や行動をします。特に、政治的に厳しい立場に置かれていたりするとなおさらだ。李大統領が竹島に上陸したのも実兄が逮捕され、政治的に追い詰めれていた時だ。反日は、韓国政治において、いわばキラーコンテンツである。

こうした現実を踏まえると、今回の日韓関係改善もはたして順調に進むかどうか、予断を許せない。慌てず少しづつ関係改善を進めていく必要がある。

個別ページへ |Posted 2023.4.1|