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静岡県知事・川勝平太氏の辞職(産経抄2024.04.10から)

いつの世も、思いが届かぬ恋は切ない。<箱根八里は歌でも越すが/越すに越されぬおもひ川>と近世信濃民謡の歌詞にある。遂げ得ぬ恋のつらさを思えば、箱根八里の険路など歌って越せる―。詩人の大岡信さんはそう訳した。

▼募る思いが激しく流れる「おもひ川」。老壮を問わず、誰もが認める人生の難所であろう。大岡さんによれば、先の歌詞は「歌」が「馬」に、「おもひ川」が「大井川」に形を変えて世に広まったという。雨で水かさを増した大井川は、東海道を行く旅人の難関として知られた。

▼歴史の符合とは怖いものである。日本の新たな大動脈となるリニア中央新幹線は、大井川に長らく行く手を阻まれてきた。正確に言えば、リニアのトンネル工事が大井川の水を減らすとして、静岡県の川勝平太知事が首を縦に振ろうとしなかった。

▼JR東海はすでに、令和9年の開業を断念している。当然のことながら、開業の遅れによる工費の上乗せや経済損失が出るため、10兆円以上と見積もられるリニアの経済効果もあおりを受ける。川勝氏の姿勢が国益の重大な侵害でなくて何だろう。

▼その人がきょう、知事の職を去る。今春の新入職員に行った訓示は、農業者らへの職業差別としか思えぬひどさだった。国家的事業のリニアを阻んでおきながら、一区切りがついたとする所感にも、辞意表明の会見で「責任を果たした」と自己肯定に終始した発言にも耳を疑う。

▼川勝氏の在職期間は15年になる。及ぼした影響は静岡1県にとどまらなかった。職を辞した後、歴史に裁かれるのはその事績と、わが国の悲願を遠い彼岸にした責任である。氏の15年は公共にとっての「財」か「害」か。後世の目がしかるべき判を押すだろう。

個別ページへ |Posted 2024.4.12|

うるう年は4年に一度とは限らない「グレゴリオ暦」の決まり

今年は1年が366日ある「うるう年」。
2020年以来となる「2月29日」を迎えたが、うるう年が必ずしも4年に1度、定期的に訪れるわけではないことは、意外と知られていない。国立天文台のホームページによると、うるう年は、日本を含め世界中の国が使っている「グレゴリオ暦」で定められている。

グレゴリオ暦では、うるう年に関し、西暦年号が4で割り切れる年②例外として、西暦年号が100で割り切れて400で割り切れない年は平年とする・・と決めている。今年の西暦は2024年なので、4で割り切れる。例外も当てはまらないため、うるう年となる。一方、2100年や2200年は②に該当するので、平年となる。2000年は100で割り切れるが400でも割り切れるた適用外となり、うるう年となった。

地球が太陽の回りを一回りするには、約365.24219日かかる。グレゴリオ暦では1日の平均日数がこの日数に近くなるようにうるう年を入れている。(2024.02.29産経より)

個別ページへ |Posted 2024.2.29|

能登半島地震【残念な野党第一党代表の政権批判】

1月1日に発生した能登半島地震では、自衛隊が現在も救出活動を行っています。正月返上で活動している隊員の皆さんに心から感謝したいと思います。そうしたなかで、立憲民主党の泉健太代表は5日に記者団に対して「自衛隊が逐次投入になっており、あまりに遅小規模だ」と批判しました。野党第一党の代表として残念な発言です。

2016年の熊本地震では発生から5日後には2万2千人の自衛隊員を派遣しました。それと比較されることについて、岸田文雄首相は「熊本にはそもそも1万人を超える自衛隊が
存在したが、今回大規模部隊はいなかった。単に人数だけを比較するのは適当ではない」と反論しました。岸田首相も述べたように、熊本市には南九州全体を管轄する陸上自衛隊第8師団の司令部があり、1万人超の隊員が常駐しています。対して、能登半島には航空自衛隊のレーダーサイトしかありません。

金沢には第14普通科連隊がありますが約千人です。そうしたなかで2日までに2千人態勢を構築し、ヘリによる人員や物資の輸送、救助活動を実施しました。能登半島に行ったことのある方はわかると思いますが、金沢市から半島先端まで約140キロ。山地がほとんどを占め、険しい海岸線も多く、道路事情もよくありません。地震で道路網も寸断されており、木原稔防衛相も「道路の復旧状況も見ながら人数を増やした」と説明しています。

泉代表が言うような逐次投入には当たらないでしょう。残念なのは自衛隊員たちが必死に救助活動を行っている時に、野党第一党の代表から政権批判が起きることです。存在感を示したいのかもしれませんが、いまは政争の時ではありません。緊急時には与野党の別なく、一致結束して国難にあたるべきではないでしょうか。

検証や批判はひと段落してからすべきです。災害だけでなく、日本を取り巻く安全保障環境も厳しさを増しており、侵略戦争から日本を守るための自衛隊の役割も大きくなっている。
2024.01.09週刊「正論」から転載

個別ページへ |Posted 2024.1.9|

誰もが前を向ける年に

少し前のことである。混んだ地下鉄の中で、目の前に座るお母さんと小さな男の子の会話が聞こえてきた。遊園地に行った帰りらしい。「大きくなったら、あのアトラクションに乗ろうね。いまは背が足りないもんね。リベンジだね」。

▼お母さんの慰めに、男の子は涙声で応じた。「大きくなったときに乗りたいのは、あれじゃないんだよ」。さぞ悔しかったろう。仕事柄、リベンジ(報復)という言葉に鼻をつまむことの多い身も、このときはお母さんに共感の一票を入れた。「次こそ、きっと」ですね。

▼思えばわが国の少子化対策も、同じつぶやきを繰り返して今日まで来た。生まれる子供の数は年々減り続けている。負の流れが続けば、電車で聞いた親子の語らいもまれな光景になりかねない。この4月からは「次元の異なる」対策が本格化する。

▼子を産み育てることを選ばぬ人も、ためらう人もいる。何が社会に足りないか。経済的支援。働きながら育てる環境の整備。いま手を打たねば流れを変えられないことは誰もが知っている。必要なのは社会全体で負担を分かち合う覚悟なのだろう。

▼詩人のまど・みちおさんに『さくら』という一編がある。<まいねんの ことだけれど/また おもう/いちどでも いい/ほめてあげられたらなあ…と/さくらの ことばで/さくらに そのまんかいを…>。花と語り合う言葉を持てたなら、どれほど素敵(すてき)だろう―と。

▼涙声の男の子は幼いなりに背伸びをして生きようとしていた。詩人が桜に思いを寄せたように、子供たちと、子を持ちたいと願う人たちと通じ合う言葉を一人一人が持てたならと思う。次こそ、きっと。令和6年が、誰もが前を向ける「リベンジ元年」になるといい。
(2024年1月1日・産経抄)

個別ページへ |Posted 2024.1.2|