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名古屋開府400年・徳川宗春

 ときは、江戸の半ば。尾張の国に風変わりな殿さまがいた。徳川宗春がその人だ。藩主としての初名古屋入りでは、」かごを使わずに馬に乗り、水色のずきんにべっ甲の丸笠をかぶっていた。藩士はもちろん領民の度肝を抜いた。芝居や踊りを奨励し、名古屋の町は大賑わい。「名古屋の繁華に興(京)がさめた」といわれたほど”芸どころ”の礎を築いた宗春の登場により名古屋は都市として飛躍を見せた。今年(2010年)開府から400年を迎えた名古屋だが、いまひとつ元気が無い。沈滞ムードを吹き飛ばそうと大衆演劇祭「風流大名、徳川宗春」公演など多彩な400年行事が繰り広げられる。

宗春とは、尾張藩七代藩主。三代藩主綱誠の20男として1696年(元禄9年)に誕生。1703年、兄継友の急死により、藩主となる。 武士の芝居見物を自由化し、名古屋に芝居小屋が並ぶようになり、遊郭も許可したことで、三町に遊郭ができあがった。名古屋は人が集まって商売が盛んとなり、隆盛を極めた。その一方、突然の娯楽により、風土の悪化を招いた上、藩の財政が赤字化。綱紀粛正に転じたが、倹約主義、緊縮政策の将軍吉宗の怒りに触れ、1739年隠居謹慎を命じられた。その後。1764年に死去するまで幽閉される。「慈」と「仁」を柱にした「温故政策」を著した。町に出る時に、赤い着物を着て白い牛に乗った奇妙な格好で出掛けたことでも知られる。       2010年3月7日・中日新聞より

 |Posted 2010.3.10|