話の広場
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孫文を支えた日本人1,000人超える 辛亥革命100年(台湾元年1911年)

神戸高等女学校で「大アジア主義」を訴える孫文(神戸華僑歴史博物館提供)近代中国の幕開けとなった辛亥(しんがい)革命から今年で100年。革命運動の指導者、孫文にかかわった日本人や在日華僑の人名録づくりが、日本で唯一の孫文記念館(神戸市垂水区)で進められている。宮崎滔天(とうてん)や、梅谷庄吉といった文献に登場する有名人だけでなく、市井の人を発掘することで日中交流の深さを浮き彫りにしたいという。

中国、台湾双方で偉業がたたえられる希少な人物だけに、日中台3国の絆を強める事業としても期待されている。(安藤義隆)孫文記念館は明石海峡を望む海岸にある。もよもとは有力華僑、呉 錦堂の別荘の別荘の一部。別荘では大正2(1913)年3月に、神戸の政財界有志による孫文歓迎の宴が開かれた。館長は中国近代史が専門の安井梅吉・神戸大学名誉教授で、人名簿づくりが「孫文と日本の関りをさらに深めることになる」と話す。

孫文は中国との玄関口だった神戸港から入国。長崎、福岡、熊本、横浜、東京と各地で政財界の有力者から活動資金などの支援を受けた。計18回立ち寄った神戸では、川崎造船所の社長だった松方幸次郎が当時の中国政府と敵対していた孫文を造船所の岸壁から上陸させ、かくまった。 (2011年4月14日の産業経済新聞から)

このホームページ管理者の話。1911年に日本軍はシンガポールに居た孫文を台湾へ連れてきた。1911年は台湾元年である。仮にこの話題を「話の広場に投稿した日」に、物品が製造された仮定すれば、製造年月日は、18.04.100 となる。

 |Posted 2011.4.18|