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企業30年説  (JR九州会長・唐池恒二)

熱戦の楽しみとは別に、プロ野球から産業の盛衰が学べる。かって唱えられた企業30年説が、球団経営の歴史を見ると実感できる。

セ・パ2リーグによるペナントレースがスタートしたのは、1950年。当時の球団名には、松竹ロビンス、大映スターズ、東映フライヤーズといった映画会社が幅をきかしている。映画が花形産業の時代だった。この頃、南海、阪急、近鉄、阪神といった私鉄も球団経営の主流をなしていた。やがて日本映画界が斜陽となり球団名からも消えてゆく。

70年代には、西鉄が太平洋クラブに、東映が日拓変にわった。鉄道と映画から不動産関連へと移っていった。80年代には、阪急がオリックスに、南海がダイエーにと、当時の金融と流通を代表する企業が登場してきた。2000年代に入ると、ソフトバンク、楽天、DeNAといった「IT企業」が主役の場に躍り出た。

産業界全体の歴史を振り返ってみても、50年代には繊維産業、60年代には鉄鋼・造船が隆盛を極めた。70年代に入ると家電や流通が台頭し、80年代には自動車産業躍進した。そして今「IT産業」の活躍が目覚ましい。最近、映画の人気も復活し、私鉄各社は不動産開発で業績を伸ばし、国鉄も「JR」となり勢いが出てきた。企業30年説とは言い難くなってきた。
(2020.03.16日経新聞あすへの話題から)

 |Posted 2020.6.21|