弾圧1万人を超 1947年台湾「2・28」事件
1947年、台湾国民政党が台湾住民に血の弾圧を加えた、2・28事件。間もなく60年がたつが、この事件について台湾人女性が「日本人も悲惨な歴史を忘れないで欲しい」と訴えている。複数の日本人が「反乱分子と」と名指しををされ、犠牲になった可能性があるためだそうだ。土着の台湾人エリートが標的になった、「2・28事件」でなぜ日本人が狙われても不思議ではなかったのか。
06年9月に来日し11月にかけ2・28事件に日本人被害者がいる可能性と各地で講演した台湾人の阮美妹(げん・みす)さんが語り始めた。終戦直後中国大陸から台湾へ渡ってきた国民党が、日本統治時代に教育を受けた台湾人エリートなどを「反乱分子」として虐殺した事件。犠牲者は推定18,000人〜28,000人で、未だに行方不明の人が多い。事件後に敷かれた戒厳令は1987年まで続き「白色テロ」と呼ばれる暗黒政治を生み出した。
事件は中国大陸からきた外省人に対し、台湾本省人の根強い不信を生む原因になった。阮さんは本省人で父親を失った遺族である。47年3月父親の阮朝日さんは台北市内で5人の男に自宅から連行されて、2度と戻ってこなかった。父親は当時日刊紙の社長をしていた。事件から半世紀、国民党が反乱を「首謀」したとして20人の容疑者を挙げた資料を発見した。
その中に日本人らしき名前が載っていた。「堀内金城」「植崎寅三郎」2人とも「台湾人の反乱を策動した」「日本の地下スパイ網を組織し軍政情報を探り出した容疑」となっている。太平洋戦争に敗れ、日本は台湾領有を放棄したが、その後も日本人の技術者ら7,000人、その家族20,000人が台湾にとどまった。これは、国民党政権が日本人を行政事務のほか鉄道事業や工場経営などの人材として残す「留用」という措置を取ったためだった。
歴史小説「台湾処分」の著者・青木茂夫氏は真相解明は言論自由化とともに進み、2000年国民党に対抗する台湾本土派の民進党が政権を奪って「2・28事件は、当時の最高権力者、蒋介石が起した計画的殺人であった」断じられるまでになったが、08年3月の台湾総統選で国民党が政権をとれば真相解明が進まなくなる!という。 「2006年10月26日(木)中日新聞夕刊記事より」
HPの管理者の心境:妻は敗戦当時は台北市川端町に住んでいた。1946年4月に蒋介石のおかげで日本に引上げることが出来たので感謝している。まことに判断に苦しむ2・28事件である。
|Posted 2007.2.1|