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劇団民芸・箕浦康子の”一人芝居”(岐阜高校卒業から俳優へ)

「思いで話」
このホームページ管理者の同級生、東京の「劇団・民芸」で活躍する箕浦康子(1960年卒)の一人芝居「不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)~宝暦騒動聞書」の初公演。脚本と演出は恩師の「こばやしひろし」(劇団はぐるま代表)だった。芝居は、こばやしひろしの代表作「郡上の立百姓」のサイドストーリーといえる内容で、一揆に加わらなかった農民の苦悩や葛藤を描いた。箕浦は一揆の指導者に恋心を募らせながら嫁いでいく女性を演じた。80分の公演が終わると、楽屋に入りきれない仲間が押し寄せた。

一人芝居の初公演の道のりは平たんではなかった。1986年「アーサーミラー作」の「るつぼ」に出演して「紀伊国屋演劇賞」を受賞した副賞の「20万円」を、そのまま、こばやしひろしに手渡した。「一人芝居に挑戦したいんです。台本を書いてください」と頼んだ。台本はすぐに出来上がった。しかし、一人芝居といっても照明や音響、大道具と小道具などの裏方は欠かせず、公演には多額の費用が必要。民芸の舞台が忙しかったこともあり、計画はなかなか進まなかった。

そんな状況を聞いて、演劇部のOBが立ち上がった。1997年「劇団はぐるま」が裏方を引き受けることになり、公演の日程が決まって、三日間の幕が降りた。カーテンコールになった時、舞台のそでから突然、脚本家で演出家の「こばやしひろし」が歩み寄った。「おれからの賞だ」と封筒を差し出した。「御浪ホール賞」と書かれた封筒には、箕浦が台本を依頼した時と同じ「20万円」が入っていた。

2022年9月~11月、「内館牧子作」の「すぐ死ぬんだから」の”一人芝居(朗読劇)”が「俳優・泉 ピン子」で、全国展開される。期待している。

箕浦康子の母校「岐高ミニ校史」岐阜高校は1873年(明治6年)旧尾張藩奉行所跡の建物を利用し「岐阜町小学義校が開校した。この時、付設された「仮中学」が、岐阜高校の前身、岐阜県立第一中学と改称され、その後、名称変更を繰り返し、1948年、岐阜女子高校と統合し、岐阜県立・岐阜高校となった。

校訓の「百折不撓(ひゃくせつふとう」「自彊不息(じきょうふとう)」あ、生徒同士がたゆまぬ努力でともに能力を向上していく、といの意味。クラブ活動は野球部が春夏合わせて6回、甲子園に出場している。

 |Posted 2022.7.13|