月間正論8月号から転載【安倍晋三の意思を継げ】
安倍晋三元首相が凶弾に斃れて3週間が経とうとしています。2022年8月1日発売の月刊「正論」9月号では、政治評論家の屋山太郎氏が「念願は憲法改正して普通の国になること」と題して、親交のあった安倍氏の死を悼んでいます。
この中で屋山氏が取り上げたのが、第二次安倍内閣での内閣法制局長官人事でした。安倍元首相は限定的ながらも集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法制を整備するにあたり、憲法解釈の変更に抵抗する内閣法制局に風穴を開けるため、国際法の専門家ではあるが法制局勤務経験のない駐仏大使だった小松一郎氏をあえて長官に据えたのでした。
「安倍氏は断固として小松氏を法制局長官に起用し、(集団的自衛権をめぐる)法解釈の大転換を断行したのである」屋山氏はこのように記し、安倍元首相の決断を高く評価しました。
安保法制が平成27年9月(2015年)に成立した後、安倍元首相は産経新聞のインタビューに対し、小松氏と、同じく集団的自衛権の憲法解釈の変更に尽力した岡崎久彦元駐タイ大使について「小松氏、岡崎氏は一命を賭して法制のために尽くしてくれた。それだけ日本の安全にとって、意義のある法制だと思っている。何とか成立することができてよかった。合憲性には確信を持っている」と二人の功績をたたえました。その上で「安保関連法は日米同盟の前進、強化につながっていく」と強調しました。
その後、米国ではトランプ政権が樹立しました。(2017年1月20日)安倍元首相はしばしば「安保法制が成立していなかったら、日米同盟は大変なことになっていた」と振り返っていました。小松氏は重い病が発覚してからも集団的自衛権の限定容認に道筋をつけるまで長官を続け、文字通り身命(しんめい)を賭したのでした。この年の11月30日、「産経新聞報道検証委員会」が開かれた際、小松氏のことを取り上げたのが残間里江子委員(当時)でした。
「9月22日に(安倍)首相が、安全保障法制の整備に尽力した岡崎元大使と小松前長官の東京都内の自宅をそれぞれ弔問したという小さな記事には、心に響くものがあります。こういう細やかな文章の中に首相の思いを読み取る読者も多いと思います」麗澤大学客員教授で拉致被害者を救出するための全国協議会会長でもある西岡力氏は、拉致事件と歴史戦を安倍元首相と共に戦ってきました。西岡氏は「命懸けだった闘いの記録」の中で、安倍元首相が「殉職した」と表現しました。
「私は『暗殺』という言葉は使わない。『暗殺』は受け身の表現で憎むべき犯人を主語にした言葉だ。だが『殉職』は安倍さんを主語にした言葉だ」と西岡氏は説明します。それぞれの筆者がそれぞれの立場で、安倍元首相を偲ぶとともに、遺志を受け継ぐ決意を示しています。
安倍元首相の論考、対談、インタビューをまとめた9月号増刊「不屈の政治家 安倍晋三」ともども是非お読みください。
|Posted 2022.8.1|