尾張名古屋は名妓連と一緒に楽しむ
戦前、名古屋の花柳界は検番は13検あって芸妓も、3,000人ぐらいいたそうです。「盛栄連」「廓検番」「御園検番」「中検番」「中越検番」「辰巳検番」「千種検番」「睦連」「難波連」「城西連」「舎人町(中京連)」がありました。
調査をいたしましたが、すでに当時のひとはお見えになりませんので、確証はできませんが、このうちより「7連妓」が合併し、料理学校の跡地を購入し、名古屋芸妓株式会社として発足して芸妓は株を所有し、組合員として働き、組合費と歩合を払って維持をしていたようです。が、芸妓が自分の持株を他人に売るという問題がおきて、株は、会社が全部を買い上げて、芸妓は組合員として働いてきました。
当時の、木造の検番も古くなり、昭和42年に土地の半分を売って現在のビルを建設し、パーティーを開きお祝いを頂いたりで裕福な名古屋名妓連が続きました。現在からさかのぼって考えますと、従業員も大勢いましたが、給料だけでも大変であったそうです。しかし、従業員の人数が激変しビルの維持をすることができなくなりました。
平成12年11月にビルを売却して、新生名妓連として発足、ビルの買主さんのご好意により、お稽古専用の立派な舞台をそのまま、借用して現在にいたっている。芸妓の練習内容は「三味線」「唄」「鳴り物(太鼓、小鼓、笛)がある。
芸の方は、9月は名古屋おどりに参加」することと別に、昭和33年より名鉄ホールにて名妓おどりを39回まで開催した。その後は、料亭「河文」の女将の好意で春の「料亭・河文座」を名妓まつりとして(08年は5月26日・27日)に開催、また「料亭・松楓閣」では、春と年末に「名妓まつり」として出演している。
現在は、伝統芸能振興会の後援により20名の芸妓さんが頑張っている。 この名古屋尾張の伝統文化を残したいと思うのは芸妓さんたちだけであろうか?このホームパージ管理者のひとりである。
資料提供・名妓連 安藤かつ江
|Posted 2009.1.12|