「失敗つづき」清水建設会長 宮本洋一氏
「このたび横浜営業所に配属になりました新入社員の宮本です。お世話になります」。51年前の初夏のある日、私は桜木町駅近くにあった営業所を訪ねた。「君が宮本くんか」と迎えてくれた営業所長は強面(こわもて)で迫力満点。片手に白い手袋をして一分の隙もない。覚悟はしていたが「スゴいところに来たな」というのが第一印象だった。
入社当時の私は、色白でやせぎす。身長1メートル81センチで、体重57キロ。スマートというより、吹けば飛ぶような体格だった。ただ、背が高いと何かと目立ってしまう。「あいつ、現場じゃ無理かもな」「いつまでもつか」――。当時の上司は入社直後の私を見て、そんな印象を持ったという。
挨拶もそこそこに「すぐに行くように」と命じられたのは、山下町にあったこの年6月に着工したばかりのテレビ神奈川(横浜市)本社ビルの現場。現場所長は30代後半。契約社員から「転格」を重ね、作業所長にまで上り詰めた「伝説の人」だった。
最初の仕事は鳶(とび)工事、土工事、コンクリート工事、鉄筋工事の管理担当。具体的には、設計図に基づき作成する施工図通り建物を造るのに必要な仮設計画や作業員・機械の手配、工程管理などで、最も大切なのは各職の職長たちとのコミュニケーション。ただ、作業に関しては「ずぶの素人」だった。
とにかく現場で揉(も)まれながら手探りで仕事を覚える、そんな日々である。失敗は数限りない。例えば、現場で鳶が足場を組むとなれば、単管(鉄パイプ)など必要な材料の手配を前もって終えておかねばならない。入社間もない頃のことで覚えているのは、枠組足場のぐらつきを防止するブレース(筋交い)の手配ミス。足場の両側に対になるように設置するのだが、片側分しか手配していなかった。
お恥ずかしい話だが、足場の図面には片側しか描かれておらず、2倍にするのを忘れていたのである。翌朝作業を始めたら、ブレースが半数しかない。雷が落ちたのは当然。鳶の親方から「こんなことじゃあ宮本さん、偉くなれねえな」と灸(きゅう)を据えられた。
若手の頃、現場で相当頭を使った仕事の一つにコンクリートの手配がある。建築では鉄筋を組み、型枠を建て込んだところにコンクリートを流し込む。これを「打設」という。事前に必要なコンクリートの量を計算し、生コン会社に打設の日時と数量の予約を入れなければならないが、この数量計算が難物なのだ。
コンクリート軀体(くたい)図を基に数字を弾き出すのだが、打設の経過に伴い型枠が膨らんだり、「スラブ」と呼ばれる床部分が重さでたわむことがある。諸条件を勘案し「○月○日○時から、生コン××立方メートルお願いします」と生コン会社に連絡する。
当日打設が順調に進んだとしても、終了間際が正念場。未打設の部分を調べて「あと××立方メートル」と生コンの手配をしなければならない。もし足りなくなると、追加の生コンが来るまで作業に携わる全員を1時間も現場で待たせることになり「どうしてくれる」と詰め寄られる。
多めに発注したいところだが、余らせるのもNG。現場ごとにセメント・砂・砂利の配合が違うので他の工事には使えないし、現場に置いておくと固まって産業廃棄物として処分しなければならなくなる。そうすると、今度は所長に叱られる。
このように工事の採算は、作業をいかに無駄なく進めるかにかかっている。よく、現場所長を数多く経験すれば、工務店の社長が十分務まるといわれる。経営感覚が自(おの)ずと身につくからだろう。
|Posted 2022.11.13|