元号は古代中国で、天子(王)が時間を支配するとされたことから成立した制度。皇帝や王が時間を支配することから成立した制度。皇帝や王が治世の最初の年を「元年」と定めて、そこから「何帝(または王)の何年」のように年を数えた。最初の元号は前漢の武帝が年号を建てて「建元」元年(西暦前140年)と定めたのが始まりとされる。元祖の中国は清朝を最後に元号を使っていない。「大化の改新」があった645年から用いられた「大化」の元号が日本最古とされる。これまでに247回の元号が使われた。日本では、同じ元号が2度使われたことはない。
天皇一代に元号は一つという「一世一元」の制度は明治時代から始まった。それ以前は天災や疫病が起こったり、おめでたい兆しが表れたときに、同じ天皇でも元号を改めることがあった。元号は古代中国の影響を大きく受けている。例えば、平成は「史記」五帝本記の「内平らかに外成る」、「書経」の「地平らかに天なる」との記述から文字が取られた。 「国の内外、天地ともに平和が達成される」という意味で、当時の世相を反映した元号となった。 1974年大平内閣で元号法が 制定された。わずか2つの項からなり、「元号は、政令で定める」「元号は、皇位継承があった場合に限り改める」とされている 。
平成の元号は①国民の理想としてふさわしいような、よい意味をもつもの②漢字2文字であること③書きやすいこと④読みやすいこと⑤これまでに元号または贈り名として用いられたものでないこと⑥俗用されているものでないこと・・・という6つの方針にのっとって選ばれた。
戦後、新憲法の施行に伴って旧皇室典範が廃止されて以来、元号は法律的根拠を失った。その後も国民は元号を変わりなく使ったが、法律上は「慣習として使っている」にすぎなかった。保守系団体が元号法制化の働きかけを強め、自民党が呼応した。元号により紀年法に法的根拠を与え、制定当時は「戦後史の一つの節目」との評価もあった。年の途中で改元すれば、元号を使う公文書やカレンダー、硬貨への表記に影響がでる。昭和から平成への移行では、硬貨に新元号を刻印する機械の準備に時間がかかり「昭和64年」も使用した。
政府は2019年1月から新たな元号を適用する案を検討。準備期間を設けて混乱を少なくするため、新元号を早ければ2018年前半にも公表することを探る。日本がめざす理念や国民の願望を漢字で表すとどうなるかを考えてみると、新元号に近づくかもしれない。これまでに元号に用いられた漢字は72文字で、予測のヒントになりうる。
247の元号のうち、4文字は5回、ほかはすべて2文字だった。最も多いのが「永」の29回、「元」「天」の27回、「遅」の21回、平成の「成」は新規で、「平」は12回目の登場だった。以前候補に挙がったものや、これまでに用いられた漢字の新たな組み合わせで新元号が決まる可能性もある。 【元号法第一項・元号は政令でさだめる。第二項・元号は皇位の継承があった場合に限り改める】(2017年1月22日・日本経済新聞から)